アントニオ猪木の歴史をザックリひもといてみますわ。まず石炭商の裕福な家庭に生まれますが折のエネルギー転換期に触れ家が没落、新天地のブラジル移民中の船旅で祖父が死に、過酷なコーヒー園での労働に従事。その後港湾の荷下ろしのお仕事をしていたところ、力道山に見い出され日本に帰国しますわ
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
そして力道山の日本プロレスに入門。まずこの入門までの時点で人生経験が常人と違いますのよ。これが猪木独特の情念の核を形作ったことは明白ですわ。そして力道山宅に住み込み、内弟子という立場に。当時、力道山宅に他に住み込んでいた兄弟子はミツ・ヒライと田中忠治。そこから道場に通う生活ですわ
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
しかし本当は練習生として毎日道場に行くべきところを、力道山からの指示ですぐに巡業に帯同させられたそうですわ。ちなみに帰国翌日に力道山の運転する車で道場に初めて行ったそうで、ジャイアント馬場や大木金太郎、マンモス鈴木と初対面したとのことで、初日の練習はスクワットを立てなくなるまで
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
当時の道場のコーチはレフェリーの沖識名、レスラーの大坪清隆、後に国際プロレスの社長となる吉原功だったそうで、大坪は高専柔道出身で投げや関節技、吉原はレスリング出身なのでレスリングを教わったと。猪木の強さのベースである寝技の神がかり的強さは、最初期から培われたものだということですわ
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そして運命の事件、力道山が赤坂のニューラテンクォーターというお店でヤクザの村田勝志に刺された時は、銀座にあるオカマバーのやなぎというお店で飲んだ後に、オカマちゃんたちを連れて青山でボーリングをして遊んでいたそうですわ。そして程なくして力道山が亡くなるのですわ
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ちなみに村田勝志の娘は、2000年代の全日本プロレスで活躍した外国人レスラー太陽ケアと付き合っていたことがあり、後に女子格闘家となりますわ。何だか人の運命というものは数奇なものですわね
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この日本プロレス若手時代にプロレスの神様カール・ゴッチに師事しますのよ。ゴッチはジャーマンスープレックス(相手の胴をクラッチして後ろに反り投げてフォールする技)の元祖であり、イギリスのプロレス道場である蛇の穴流の関節技の当代きっての使い手で、実力世界一とも言われた人物ですわ
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これにより猪木は更なる実力をつけつつ、アメリカ南部へ修行に行き、荒っぽいケンカレスリングのエッセンスを取り込みますのよ。そんな中、アメリカ人女性と結婚し娘が生まれますが、この子を事故で亡くし離婚。しかし壮絶な人生はまだ序章に過ぎないのですわ
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帰国後はジャイアント馬場との二枚看板でトップレスラーの片割れとなりますが、力道山の死後の日本プロレスは重役たちの放漫経営によってレスラーたちの不信感を買い、馬場、猪木らが経営を正そうとするも不穏な動きとして密告され、猪木だけが会社乗っ取りの汚名を着せられて追放されますのよ
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会社側に健全経営を求めたのが1971年11月28日で、12月6日に追放が決まりますの。しかし猪木は不屈。1972年1月13日日には新日本プロレスの会社登記を済ませ、26日には設立を正式発表、道場開きは29日、旗揚げ戦が3月6日という電光石火の素早さ。この時既に燃える闘魂だったとしか言い様がありませんわ
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
この頃には倍賞美津子を相手に2度目の結婚をして新婚の時期。ミッコはさぞ辛かったでしょうが、何と新居を明け渡して道場&合宿所にし、弟や母も巻き込んで猪木のサポートをしてしまうのですから大英傑。この夫にしてこの妻という凄まじさ
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ちなみに道場建設を請け負ったのは猪木に帯同したレスラー木戸修の父の会社である木戸工務店。木戸の娘はゴルファーの木戸愛ですわ。そして木戸がレスラーを目指した経緯が凄くて、兄が事故でレスラーの夢を断たれ、その夢を継いでレスラーになったのですわ。静かながら炎の心を持つ男、それが木戸修
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
木戸はほぼゴッチに授けられた技術のみで頑なな試合をするいぶし銀の職人レスラーでしたわ。引退後、某団体の要請を受けて約10年の時を経て短期間復活した際には、現役時代とほぼ変わらぬ戦いを見せましたわ。静かながら「引退後も毎日練習は欠かさなかったから」という常在戦場の炎の男、それが木戸修
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
……いけませんわね、正気に戻りますわ。さて新日本プロレスを設立した猪木ですが、日本プロレスの妨害に遭い、著名な外国人レスラーを呼べず、旗揚げ戦にして実は窮地に追い込まれますの。しかし、ある1人のレスラーが猪木の旗揚げ戦の対戦相手として来日しますのよ。……お、漢ですわ~!!! pic.twitter.com/tvVYf4Ma6M
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
まだ序盤ですが、今日は一旦これぐらいにしてもよろしくて……?
読み返すと内容が全然ザックリではありませんわね……!
でもでも、わたくしのほとばしる熱量に以後もついて来て下さると嬉しいですわ
RT、いいねもよければお願いしますわ
ではごきげんよう( ??? )— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
これでも、ヤバプロレスオタクとしての熱量を実はかなり抑えていますのよ。本当は当時の関係者やスポンサーの話も書くつもりでしたが、さすがに話が広がりすぎてしまうのでカットしまくり、しかしどうしても木戸修については書かずにはいられず……!頭を冷やす為にも一旦休憩を……!
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
ちなみにわたくしがこのアントニオ猪木ツイートを一旦やめた様に、猪木も実は日プロを一旦辞め、東京プロレスという団体を作って低迷、暴動に遭ってリングに火を放たれ団体崩壊という大失敗し日プロに出戻っていますの。この辺の経緯が複雑ではしょりましたわ。本当はこれぐらいザックリ書きたいですわ
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
日プロ→東プロ→日プロ出戻り→日プロ追放→新日本プロレス旗揚げという流れですわ。本当はもっと詳しく書きたいですが、アントニオ猪木の大筋から外れて当時の派閥と各レスラーの人となりについても書き始めそうなので今必死に抑えていましてよ
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
テレビ観ていましたらアントンのことがやっていて燃えて来てしまったので、もう休憩終わりにしますわ。一刻も早くより濃い猪木ヒストリーを皆さまに伝えねばなりませんのよわたくしは
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
旗揚げの翌年1973年3月30日には元柔道日本一のレスラー坂口征二が合流し、4月6日にNET(現・テレビ朝日)によるテレビ放映開始。坂口は俳優の坂口憲二の父ですわ。憲二の兄の征夫(ゆきお)もまた、人生の紆余曲折を経てレスラーになりましたわね
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そして1973年11月5日にはミッコとお買い物中、新宿伊勢丹前でタイガー・ジェット・シンに襲撃され、大抗争に発展。禍々しく殺伐とした怒りの権化のアントニオ猪木がどんどん出始めると共に、一方で死神ジョニー・パワーズを破りNWF世界王者となり、世界統一構想がスタートしますのよ
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
それは乱立するプロレスの世界王座を束ねるという途方もない夢ですわ。これが12月10日で、翌1974年2月13日には国際プロレスのトップレスラーだったストロング小林がフリーとなり猪木、馬場に挑戦状を出し、2月25日に猪木が受諾、3月1日には調印式、そして3月19日に蔵前国技館で激突しますわ
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
この試合は力道山vs木村政彦以来20年ぶりの大物日本人対決。力道山は今でこそ朝鮮人だったと明かされていますが、昔は日本人とされていましたので、ここでは当時の状況を尊重してあえて日本人としますわ
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
この1戦が日本のプロレスの潮流を1つ変えましたの。それまで対外国人レスラーが常だった日本のプロレス界に大物日本人対決、しかもタイトルマッチ(NWF世界選手権試合)というものが初めて導入されたのですわ。決まり手は猪木のジャーマンスープレックス。これが伝説の一撃ですのよ
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小林を投げ両肩をつけた際、猪木の両足が浮き、一瞬首だけでブリッジを維持する激烈カッコいい異次元のジャーマンスープレックスホールドになりましたのよ。この試合は年間最高試合にも選ばれ、昭和の巌流島決戦と呼ばれたそうですわ。この試合は本当に観て頂きたいですわ~!!!
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1975年10月9日には鉄人ルー・テーズを破り、そしてわたくしが昨夜偶然観ていた人間風車ビル・ロビンソン戦が12月11日ですの。ストロング小林戦、そしてこのロビンソン戦のどちらかを猪木のベストマッチとする識者は多いですわね。ちなみにわたくしはロビンソン戦を推しますわ
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話が前後しますが1974年6月26日にはタイガー・ジェット・シンの度重なる暴挙に大激怒していた猪木はシンの腕を折って勝ち、8月1日には師であり恩人でもあるカール・ゴッチにクリーンファイトで勝っていますわ。殺気とレスリングの二刀流が猪木の本懐であると印象づけられた時代ですわね
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ロビンソン戦に話を戻しますと60分ドローの試合で、当時の世界最高峰のレスリングと関節技による息詰まる技術戦ですわ。ロビンソンはゴッチの弟弟子で、この時代の最強レスラーは誰かという話題になるとゴッチと並び必ず名前が挙がる超実力者ですわ
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どんな状況、体勢でも相手を極めてしまう無限のテクニックはとてつもなく、昔のあるつよつよレスラーに「ロビンソンと本気でスパーしたら僕なんか1分以内に関節を壊されて終わりますよ」と言わしめる程で、こんなロビンソンとガチガチに渡り合う猪木のこれまた伝説の試合も是非とも観て頂きたいですわ
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そして運命の1976年がやって来ますのよ。この年は異種格闘技戦がスタートしましたの。まずは2月6日に日本武道館で柔道金メダリストのウィリエム・ルスカ相手に格闘技世界一決定戦を行い、バックドロップ3連発で勝利しますわ。さらに次戦が6月26日の空前絶後のモハメド・アリ戦ですわ~!!!
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この時のアリは取り巻きのアリ軍団を大挙して連れて来ましたの。アリ軍団はメチャクチャで、銭湯の女湯に乱入して写真を撮りまくったり、結婚詐欺を働いたりと傍若無人な振る舞いを繰り返し、今の時代ならば大炎上していたであろう無法集団だったそうですわ
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アリはプロレスを舐めていて、しかもエンタメとしてのエキシビションマッチをやるとたかを括っていましたが、猪木陣営から当然リアルファイトを通達されて面食らい、猪木の公開練習の俊敏さと獰猛さを見てルールについてゴネますの。このルールがひどいものですのよ
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猪木は立っての攻撃禁止、寝技は5秒以内、そしてアリのグローブの中には石膏が注入されていたという話ですわ。これはアリ軍団が進めた暴挙とも言われ、諸説ありますわね。猪木はこのルールの間隙を突いて、スライディングしながらのローキックを編み出し、後にアリキックと呼ばれる様になりますわ
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試合は猪木が寝てアリが立っている状況で終始続き引き分け。この片方が寝て片方が立っている状態を猪木アリ状態と言いまして、総合格闘技の試合でいまだに頻発するガチなポジションなのですわ
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ちなみにこのアリ戦で新日本プロレスは当時の金額で9億円の借金を負い、猪木の殺気に生い立ちだけでないリアルガチなものが加算、もうえもいわれぬ雰囲気が醸成されてゆき、12月12日にはパキスタンで現地の英雄で最強の男アクラム・ペールワンに、目を突いたり腕を折ったりという最凶ファイトで勝利
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勝利の瞬間、暴動が起こる雰囲気になるも、猪木が絶叫しながら両の拳を天に突き上げますの。それはイスラムの神への感謝のポーズであり、偶然の合致により猪木もまたアクラムと並ぶ英雄として崇められ、後の湾岸戦争時に日本人が人質に取られた際に猪木が向かうや人質が解放されたお話に繋がりますわ
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
1977年8月2日には全米プロ空手世界ヘビー級王者ザ・モンスターマンを垂直落下の超絶ドライバーからのギロチンドロップでKO勝ち。9月2日には本職のプロレスでラリアットの元祖スタン・ハンセンを、10月25日には映画ロッキーのモデルとなったチャック・ウェップナーを異種格闘技戦で倒しますわ
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
12月8日にはグレート・アントニオ戦で相手のでくの坊ぶりにブチギレて顔面を蹴るなどして3分ほどでKO。アクラム戦やアントニオ戦などの殺伐とした試合は後にキラー猪木シリーズとして映像化され、今もわたくしの心をガッチリ掴んで離しませんのよ
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1978年には大巨人アンドレ・ザ・ジャイアント、ニューヨークの帝王ボブ・バックランド、ヨーロッパの地獄の墓堀人ローラン・ボックなど世界をまたにかけたライバルも次々と完全確立し、新日本プロレスの経営は安定。いいえ、違いますわね。どんどん勢いを増して格闘ロマンの道を突き進みますわ~!!!
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
1979年8月26日には日本武道館で開催された夢のオールスター戦で永遠のライバルであるジャイアント馬場と8年ぶりのタッグ結成。そしてリング上での最後の接点となりましたわ……!ちなみに馬場は猪木が新日本プロレスを旗揚げした同年に全日本プロレスを旗揚げしており、2人の道は対称的でしたわ
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
ハイリスクなイバラの道をひた走りがちな猪木に対し、馬場は業界内での信頼と人脈を築き続けて堅実に王道を歩み、生涯この対比は変わることがありませんでしたわ。この2人の人生と新日全日の離合集散が、日本のプロレスを他国のプロレスと違う異次元世界にしましたわ
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
1980年2月27日には極真空手のウイリー・ウイリアムスと激突し引き分け。猪木は肋骨、ウイリーが腕をケガし、以後、異種格闘技戦はしばらく凍結されますわ。そして12月13日にインターナショナル・レスリング・グランプリことIWGP構想を正式に発表しますわ
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
これは乱立する世界王座を統一するという、猪木が1972年12月10日に立ち上げた世界統一構想を現実のものとして始めた大計画ですわ。翌1981年4月1日にIWGP実行委員会の発足を正式に発表。世界中のプロレスのチャンピオンを集め、全王座を返上してIWGPに1本化すると発表しマジで動き始めますのよ
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
しかし新日本プロレスは2000年代に企業買収されて猪木の手を完全に離れ、ここ数年は猪木のIWGP構想と真逆の王座乱立をしまくっていますのよ。これはアントニオ猪木の魂に泥を塗る行為だとわたくし思いますわ……!悲しみしかありませんのよ……!現在の王座乱立を見て下さいまし……( ??????? )
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
IWGP世界ヘビー級王座
IWGPタッグ王座
IWGPジュニア王座
IWGPジュニアタッグ王座
NEVER王座
NEVER6人タッグ王座
IWGP USヘビー級王座
NJPWストロング無差別級王座
NJPWストロング無差別級タッグ王座現在さらにIWGP女子王座まで新設予定ですのよ……
何ですのこれ……
悪夢ですわ……— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
わたくし、これを書きたかったのですわ。アントンはIWGP構想以降、年齢的なピークを過ぎ、政治家転身によってリングに上がる回数が減って行きますわ。そして1998年に現役引退、1999年に馬場が亡くなり、2006年に新日本プロレスを失ってからはプロレスとの距離を広げて行きましたわ……
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
アントニオ猪木の鎮魂の為にも、彼の夢であったIWGPをもうこれ以上汚さないで下さいまし……
真の猪木ファン全員の願いのはずですのよ……— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
猪木は1980年からアントンハイセルという早すぎたリサイクル事業に手を出してアリ戦の借金に加えて更なる大借金を抱え、佐川急便の佐川会長がその借金を肩代わりし、不倫スキャンダルを起こし、マサ斎藤と巌流島で何故か2時間も戦い、ミッコと離婚し、政治家となり、人質を解放し……
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
北朝鮮でプロレスの大会を開いて国交を開かせるもまた大借金し、3度目の結婚をし、新日の隆盛でまた借金を返し、離婚し、謎の永久機関を作ろうとまた湯水の様にお金をつぎ込み、新日を買収されて追い出され、4度目の結婚をし、スポンサーの支援でIGFという団体を作り、妻を亡くし……
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
もう人生がムチャクチャでしたのよ。せめて最大の夢であったIWGPを猪木の目指した統一思想に寄せて供養としてほしいのですわ~!!!
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
最初と最後だけ何とかザックリ書けましたわね。本当はこの1980年代から2000年代がマジで壮絶すぎるのですが、醜聞と複雑に絡み合っていて今回詳しく書くのは憚れましたのでご容赦下さいまし。ではお付き合い下さりありがとうございました(???????)
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
アントンがアクラムと戦ったからこそ生まれたものですわhttps://t.co/2IYu9Q2sEV
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
ちなみにアントントレーディングという会社も設立し、タバスコ、マテ茶、スペアリブ、ヒマワリナッツ(ヒマワリの種)などの食品飲料品を日本に持ち込んだのも猪木ですわ
その多くは現代日本において普及しましたわね
ヒマワリの種を貪り食う日本人総ハム太郎化が失敗したことも忘れないで下さいまし— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
あとこれは書くか悩みましたがやはり書くことにしますわ
現在の新日本プロレスは猪木を否定して脱ストロングスタイルを掲げ、縁もゆかりもない飛んだり跳ねたりばかりのプロレスばかりする変な団体になってしまいましたわ
何も受け継いでいませんのよ
わたくしはそれが悲しく悔しく虚しいですわ……
— やすみお嬢さま (@yasumi_yashiro) October 1, 2022
元気ですかー
元気です!!
みなさんの感謝の気持ちを
持ってお伝えに参ります。
最後の闘魂アントニオ猪木
コールです。
聞こえますか
長州力 pic.twitter.com/9rM9VWDC0Q— 長州力 (@rikichannel1203) October 1, 2022
いま目の前に闘魂が安らかな眠りに。
胸が熱くなり涙まで
線香を持つ手が震えて蝋燭の火がつかない
出来る事ならもう一度起き上がってください。
合掌長州力 pic.twitter.com/H5RAV0e0sm
— 長州力 (@rikichannel1203) October 2, 2022
ありがとう!アントニオ猪木さん pic.twitter.com/unq20iFSVR
— kitazatotoshiaki (@kitazatotoshia1) October 2, 2022