日本が最後の最後まで降伏しなかった、というか、できなかった理由も実感した。今までは本で分かった気になっていただけだった。
降伏したら奴隷になる、皆殺しもあり得るのが当たり前な感覚だったからだ…
たまたまアメリカはそういうことはしなかった。
ウクライナを見ていてわかった
— めいろま「世界のニュースを日本人は何も知らない3」発売中 (@May_Roma) March 5, 2022
こうしてみると「無条件降伏」ってものすごい重みのある言葉ですね??
— ??ZEGA?? (@zegawo) March 5, 2022
歴史に学ぶと、捕虜をシベリア抑留したり、自国の囚人をシベリア送りにした過去があるだけに、今後もやらない理由がないと思ってしまいます。
— 2410000 (@sfujiman) March 5, 2022
半分がソ連になるかもしれなかった事を考えると本当にラッキーだった。これを大事に守らないといけませんね。
— 完全甘党???? (@hndnrk) March 5, 2022
住宅街に焼夷弾による無差別爆撃してくる相手にそうそう降伏はできない
— B.G. (@BWt4nY2Qwu7CycO) March 5, 2022
マッカーサーというか連合軍は割とまともでしたね、その時の米英政府が狂っていただけで
— 破魔裂盾陛@拓也の加勢三千円 (@asurazoma) March 5, 2022
今のウクライナを見て降伏したあと何が起きるか想像できない人は、自分が奴隷になって『こんなはずじゃなかった』と後悔するタイプですね??
— ねこのすけ【日本を愛する仲間たち】 (@nekonosuke123) March 5, 2022
これには至極同感です。偶々アメリカだったから良かったです。終戦直後オリンピック作戦があり北海道→ソビエト本州→米国四国中国地方→英国九州以南→中国の分割案がありました。米は一番血を流したから頑なに一国支配を貫きました(東西冷戦を見込んでの支配とも)もし分割されていたら…
— 織田ゴム長 (@moto_koo) March 5, 2022
しかし日本国民で、ソ連によるシベリア抑留で34万人の人が亡くなったことなんてどれくらいの人が知っているだろうか。今、ついにそのあたりの歴史も振り返られるべき時が来たのかもしれんぞ。
— ?????? (@tkmpkm1_mkkr) March 4, 2022
バズり始めましたが、私の父方の祖父がシベリア抑留者でした。生きて帰ってくれて幸運であり良かったです。
— ?????? (@tkmpkm1_mkkr) March 5, 2022
祖父はこの頃珍しく英語、ロシア語が堪能だったので、捕虜になった後、通訳として連れ回されたようです。生きてる時は戦争について一切話すことなく亡くなりましたが、死後に「自分の血を引く者へ」と戦時中の体験や見たことを綴った手記が出てきました。シベリアについても書かれていました。
— みみながうさぎ?? (@usaginoishi811) March 5, 2022
読んだ時、これが本当に人間が人間にしたことなの?って恐怖感を覚えました。読むのも辛い話でした。人が使い捨ての物のように扱われ、病気や怪我や飢えで役に立たなくなった人間は深い洞窟のようなところに投げ捨てられていく様を眺めるしかなかった自分の無力さを悔やんでいました
— みみながうさぎ?? (@usaginoishi811) March 5, 2022
沢山の死体の山を前に祈ることさえできなかった自分を恥じて忘れることができなかった、誰かに話すこともできなかった、こんなに亡くなったのに自分なんかが生き残って良かったのか、私は死ぬまで問い続けるだろう、と
それでも祖父がいて母がいるから私がいるので、思いは引き継いでいこうと思います— みみながうさぎ?? (@usaginoishi811) March 5, 2022
じーちゃんはシベリアに抑留されていた。亡くなる2日くらい前意識無くて、ばーちゃんが足を洗ってあげてたらチャプチャプいう音聞いて「下船命令が出たか?」って何度も聞いた。舞鶴に着いて一刻も早く家に帰りたかったんだって思って泣けた。
— ALEXMAMA (@ALEXMAM07852348) March 5, 2022
しかも確定済で25万人超えるから怖い
— しき (@KB4562899) March 5, 2022
僕は毎日ご飯食べる時、シベリアの食事に比べたらなんて贅沢なんだ!と、感謝していただくよう心がけています。(^o^ゞ
— 時星リウス@妄想自由人 (@TokiBosi20) March 5, 2022
私の祖父もシベリア抑留者でした。戦後、帰らせられる者もいるなか、祖父はなかなか帰してもらえず、鉄道を作っていたと子供の頃に聞かされました。祖母はその帰りを首を長くして待っていたと。長い抑留生活の後、無事帰国でき、今の私につながります。
— greenApple (@greenAp89685797) March 5, 2022
私の祖父もシベリア抑留から戻りました。だから今の私があります。「1日コッペパン一個しかもらえねくてよ、朝に友達お越しに行ったら冷たくなっててよ、俺は炭鉱だったからいくらか助かったけど、森で木切りさせられてた方は酷かったべ」この言葉が記憶にあります。もっと聞いておけば良かったなぁ
— ラム (@rumtno1) March 5, 2022
シベリアに強制労働に連れて行かれた隣のじいちゃんは、強制労働ではたくさんの人が飢えと寒さで亡くなったと泣きながら語ってくれた。動いているものはネズミでも食べ飢えを凌いだのだそうだ。戦争に負けるとはそういうことだ!! ウクライナにそんなことを求められない。プーチンならやりかねない。
— Beethoven768 (@Beethoven7681) March 5, 2022
私の母校の中高等学校の担任の先生は、シベリア抑留者でした。厳寒の中、多くの亡くなった同胞を雪の中に埋め、手を合せたと教えてくれました。とても、空しかった、戦争はいけないと言った事を記憶しています。
— ダンディー (@darimat1963) March 5, 2022
私の祖父と大伯父もシベリアで亡くなりました。帰ってきたのは遺髪と爪だけです。家系図調査をやると戦死者は思ったより身近にたくさんいることがわかりますね。
— あら無職 (@Sheldon98GJ) March 5, 2022
私の祖父もシベリアから帰ってきたひとり。病気になると病院という名の洞窟にやられる。そこで祖父は病人の世話をしていた。薬も食べ物もなく、火で温めた石を腹に入れてやる事しかできない。皆「お母ちゃん」と呟きながら死んでいった。と話してくれた。
— ファンシー$石の上に2百まんどりる???? (@ponimate) March 5, 2022
祖父は医師ではない。眼病だったが動けたので周りのお世話をした。その後運良く帰国できたが、既に復興が進んでおり浦島太郎状態。若い頃から軍におり終戦後はシベリアいたため、手に職がなく苦労した。若い人に混じって大工の見習いになり生計を立て子供が産まれ、そして今私と私の娘に繋がる。
— ファンシー$石の上に2百まんどりる???? (@ponimate) March 5, 2022
私の伯父は黒海の方まで連れて行かれて現地で病死しました。
— 28号 (@Kaneda_Syotarou) March 5, 2022
うちの爺ちゃんは米軍の捕虜になったので良かったと言ってました。ソ連の捕虜になった方々はとても酷いことになったと聞きました。ロシアは第二次大戦の時から人間の扱い方が変わっていないですね。
— goma326 (@goto326) March 5, 2022
私の祖父もシベリア抑留者でした。戦死公報が届きお骨のないお葬式の当日本人が帰還。戦死したのは同姓同名の別の人でした。祖父は長寿を全うしましたが抑留のことは一言も話さなかったそうです。私が聞いたのは後ろから撃たれて貫通した弾痕が右胸にあるということだけ。
— nino (@nino02588445) March 5, 2022
主人が小学だったかでシベリア抑留経験の先生がいたそうで、(食べ物がろくにもらえず、ドアノブを素手で触ると寒さで皮膚が張り付いてしまった)ということを聞き未だに忘れないで子供たちにも言ってます。学校の歴史を100年前くらいから現在まで始めて欲しいと思ってます。
— あと2マス (@BouraHana) March 5, 2022
私の母は満州生まれ。終戦直後にソ連軍に攻め込まれ、祖父が捕まりシベリア送り。その途中に数名と列車から逃げて助かった。帰国途中に母の弟が栄養失調で亡くなる。そこから祖父が家族と合流でき、弟の亡骸を掘り起こし、皆なんとか日本に帰国出来たと聞かされました。あの国は信用してはいけない。
— 麺パパ (@kOqcdoEhlCiSdPr) March 5, 2022
同感です、何年か前にシベリア抑留展に行った時主催者側は1行も日ソ不可侵条約を破った事を書いてませんでした。一応スタッフに「書かなきゃだめじゃん、これじゃまるで日本軍がしょうがないねと取れるょ」言っとましたが…
— 織田ゴム長 (@moto_koo) March 5, 2022
「ウクライナは投降、降伏した方がいい」とお為ごかしに言う者は、第二次世界大戦の終戦後、武装解除され投降した日本人軍民が約57万5千人シベリアに抑留され、厳寒下で満足な食事や休養も与えられず、最長11年苛烈な労働を強要させられて約5万8千人死亡した事なんて、想像もできないんだろうな。
— 吉田康一郎 (@yoshidakoichiro) March 5, 2022
【追補】
当初は総数57万5千名が連行されたと考えられたが、65万人というのが定説である。
アメリカの研究者ウイリアム・ニンモによれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという。— 吉田康一郎 (@yoshidakoichiro) March 5, 2022
私が過去に介護した認知症の方もTVなどでロシアの話が出ると「いやじゃー!いやじゃー!」と泣き叫ぶくらいトラウマを持たれていました。
まだご存命の方もいらっしゃいます、お心を傷つけないようにしていただきたいですね・・・— ぐちやき (@guchinarumamani) March 5, 2022
降伏とは少なくともこうなる pic.twitter.com/c0mgDDJrgO
— ムスカ・たろー・ラピュタ (@ra_menism) March 5, 2022
ウクライナ人にとっては、それ以前に「地獄ですら生ぬるい」と言われたホロドモールの事実がありますからね。(詳しくは「ホロドモール ウクライナ」でどうぞ)
— 台湾史.jp (@Formosanhistory) March 5, 2022