20周年迎えた911か・・・
あの日、崩壊したビルの真下にいて死にかけたうちの夫、今朝は、友達と釣りにいきましたわ。
事件後何年もトラウマで苦しんだ夫だけど、彼の中では「終わったチャプター」なんだって。
— TrinityNYC (@TrinityNYC) September 11, 2021
911のあと家族を失ったひとたちは勿論、大勢のひとがいろんな形で影響を受けました。
ヒラリー・クリントン(当時NY州選出上院議員だった)が「911に対しては、人の数だけエピソードがある」と言ったのだけど、そのとおりだと思った。そこにいた人もいなかったひとも、誰もがエピソードを持ってる。
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影響を受けたのは、個々人の人生や、生活や、考え方だけじゃない。
アメリカという国家そのものが、あの日を境にして、予定していたのとは違う道を歩むことになった、それに気づかされた、いわば、Brutalな日だったと思います。
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わたしの夫は、いまはもう引退しちゃったけど、長いこと報道の分野にいて、テレビニュースのフリーのカメラマンだった。あの日は欧州の某テレビ局のために仕事を請け負って、国連ビル前に早朝から詰めていたが、ダウンタウンのツインタワーで何やら妙なことが起きてるらしい、ということで急遽現場へ。
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最初の飛行機のインパクトの直後は、ニューヨークでも実際に何が起こってるのかわかってなかったんです。第一報では小型機がタワーにぶつかって炎上したらしい、という話が流れたの。
私はというとその日は仕事してなくて、パジャマ着たまま自宅の南向きの窓から煙が出てるタワーをボーと見ていた。
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夫と報道クルーは国連ビルからイーストサイドハイウェイに入り南下、ツインタワーに着いたときは、まだポリスラインがひかれる前で立ち入り禁止になる寸前だったから、早めに現場に到着した報道陣だけがワールドトレードセンター真横まで行くことができた。うちの夫はその数少ない報道陣の一人だった。
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私はコーヒー片手にパジャマ姿で、ミッドタウンのアパートビルの19階にあった自宅の南向きの窓から燃えてるビルをみてたんだけど、突然真っ赤な炎が上がったのが見えた。それがセカンドインパクトだったんです。アクション映画でしかみたことがないような、大きな赤い炎。いまでも目に焼き付いている。
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あわててテレビをみたら現場は大混乱になっていた。怖くて震えました。わたしが当時働いていたオフィスは、テロ現場のすぐ近くで、わたしの机の後ろの窓からツインタワーがすぐ目の前に見えてた、そういう場所だったの。慌ててオフィスの同僚に電話したけど誰も出ない。
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そのときもまだ、テレビニュースでも、はっきりとは「これはテロだ」とは言ってなかったの。
なんなのこれは?事故・・・?じゃないよね?なにこれ?なに?どうなってんの?不安だけが募ってゆく。なんかとんでもないことが起こって混乱して大騒ぎになってるらしい、それだけはわかる。そんな状態。
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そしたら夫から電話がきて「たいへんなことになってる。ここは大騒ぎだ。絶対に家から外に出るな。こっちに来るな。家の中にずっといるんだ、いいな!」と叫ばれた。「うん、わかった。そっちも気を付けてよ。」と言って電話を切り、ずっと窓から見えるタワーとテレビ画面を交互に見続けていた。
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なにがなんだかわからないまま、不安だけが募ってゆく。そのうち仲の良い友達から電話が入って「ペンタゴンやられたよ!テロだよ!!」と絶叫された。
文字通り膝震えたよ。だって夫はタワーのすぐ近くにいること、わかってたんだもん。
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それから少ししたら、タワーが崩れたんだ。崩れるところが窓からも見えたし、テレビの画面でも見えた。怖くなって床にうずくまって、夫に連絡とろうと思って、何度も何度も夫の携帯に電話したけど、出ないの。
心臓バクバクしてくるし、怖くて泣きっぱなしよ。何度かけても夫は電話に出なかった。
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自宅でひとりでこころぼそくて、でもなにもできないし、うずくまって泣いてたら、日本の親からも電話くる、友達からも電話くる、そのたびに、夫と連絡とれないといって、わたしは泣いた。
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そして2棟目も崩れた。テレビでは全局がワールドトレードセンターを大写しにしていたが、タワーが崩れるとき、キャスターも、Oh My God!!!!と画面で絶叫した。報道陣が最大近寄れるあたりから流れてくる画像は恐怖のひとことでした。体中真っ白になったひとたちがストリートを歩いている。
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夫がその日仕事をしていた欧州のテレビ局のニューヨーク支局から電話がきて、国連ビルからツインタワーに向かったクルーは、ディレクターとサウンドマンとカメラマンの3名で、前者2人とは連絡がついたが、大混乱の中カメラマンとはぐれてしまい、私の夫とだけ、まだ連絡がついていないと言われた。
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なにか動きがあったら必ず知らせるから、ともかく気を確かに持って、連絡を受けられるようにしておいて、と言われて電話が切れた。動転してしまい、親と友達に電話して事情を語り、泣き続けた。窓の外をみるとダウンタウンのほうからサードアベニューを北に向かって歩いてくる人々が目にはいった。
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ワールドトレードセンターはマンハッタン島の南端の金融街のあたりにあり、地上も地下も交通手段はメチャクチャになっていたから、現場で崩壊のインパクトを受けた人々は、自宅に戻るために、島の南端からアベニュー沿いに歩いて北上した。私が窓から見てたのは、その人々の群れだったんです。
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「群れ」という言葉がふさわしい。それほど大勢の人々が一斉に集団で北上していた。その様子、はっきりと覚えている。中には全身、崩壊したビルの粉塵をかぶって真っ白になってたひとも少なからずいました。
タワーと一緒にアンテナも崩壊したから、NYシティでは携帯電話がつながらなくなってました。
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「なにか動きがあったら即座に連絡するから」と言ってくれた支局長からは、その後なにも連絡はない。夫の携帯電話にはつながらない。ひとりで惚けたようになって、まどの外をぼんやりみてたことを思い出します。
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そしたら、電話が入ったんです。夫から。28丁目の公衆電話から掛けてる、といって。当時はまだ、ストリートに「公衆電話」なるものがあったんだよね。彼、生きてたんですよね。少ししたら階下のドアマンから連絡はいって、夫がロビーにいるからすぐ降りてこいという。
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突っ掛け履いてロビーに降りていったら、そこに、全身粉かぶったみたいな姿の夫がカメラを持って、立ってました。わたし、そこで、大声で泣いたよ。ドアマンも一緒に泣いてた。
これから現場で写した映像をフィードしにスタジオに行くというので、また一人になるのが嫌で、わたしも付いていった。
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スタジオに入ると、そこにいた支局のひとたちがみな一斉に駆け寄ってきて、そこにいるみんなが泣きました。夫はカメラをスタジオの台の上に載せて、そこで、彼も、安心したんでしょうね、ウッとなってちょっと泣いて、またそこでみんなが泣いたんだよ。
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うちの夫が写してきた映像は、その欧州のテレビ局のNY支局のスタジオからEditもされず本社に送られ、シンジケートを通して欧州の他の多くの国でも流れました。テロ現場内側の様子を、911の起こったまさにその当日に、欧州のどこかで見たひとがいたら、あれはうちの夫が写した映像です。
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さっきも書いたけど、テロが起こってまもなくポリステープが張られ、現場付近はメディアも含め立ち入り禁止になったため、あのときタワーの真下に行けたジャーナリストは実はそんなに大勢はいなかった。
崩壊現場の大混乱と、警官、消防士、医療隊員らの姿を映した貴重な映像で、賞も幾つか頂いた。
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うちの夫が写した映像でわかったこと。あの当日、ポリスも、消防士も、医療隊員も、みんな、あんなすごい大混乱と粉塵の中で「職務を遂行していた」んですよ。ファーストレスポンダーの彼らは、本当にあの現場で「働いていた」んです。写ってるんだから、ウソでも誇張でもないよ。感謝の念しかない。
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うちの夫が現場を離れて徒歩で北上を始めたとき、一台の車が止まって、「どこまでいくんだ、乗ってけ」と言って乗せてくれて、28丁目まで連れていってくれたんだって。白い革張りのレクサスで、粉だらけ泥だらけの夫を躊躇なくのせてくれた見知らぬ誰かがいた。
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テロの翌朝はショックで死んだように静まり返ってたニューヨークだけど、輸血が必要だといえば大勢が長い列を作って献血した、救助隊の犬のブーツが擦り切れたと聞けばわんこブーツが山のように集まった、消防車や救急車が通れば大声で「Thank you!」と叫ぶひとが大勢いた。
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いまでは素晴らしくきれいになってるウェストサイドのチェルシーポートのあたりや、ハイラインがあるあたりね、あの近辺は、当時はまだ開発前だったんで、広い空き地の確保が可能で、崩壊現場から見つかった死体の一時置き場だったんですよ。
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いろんなことを昨日のことのように思い出す。あの体験を通じて、ニューヨーカーの多くは素朴で暖かいひとたちだというのも確認した。ああいうときに人間、本性が出るからね。ヒューマニティの存在を確認させてもらいましたよ。
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そして、もうひとつ、夫の話を聞いて確認したことは、人間の生死を分けるものは運でしかない、ってことかな。うちの夫は、燃えてるタワーを真下から撮影していたが、角度を変えようとして、通りの向こう側に向かって歩き出した瞬間に、背後でタワーが崩壊始めた。
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必死にすぐ隣のビルのワールドフィナンシャルセンター(WFC)に向かって走ったが、WFCの1階ロビーは内側から鍵がかけられてて、通せんぼ状態になった。土地勘あるひとなら想像できると思いますが、通り隔てた向こう側から110階分の瓦礫が真上から落ちてきたというんだから。
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通せんぼ状態になった一角には、うちの夫のほか、警官や消防士ら10名以上が行く手を塞がれてギュウギュウになり、このまま死ぬのか・・・と思った瞬間、ひとりの警官が拳銃でWFCのロビーのガラスを撃ち破って人が通れるぐらいの穴があき、そこからWFCのロビーになだれこんで全員が助かった。
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あのとき、あのポリスマンが機転きかせて発砲しなかったら、その場で全員窒息死したかもしれない。
うちの夫が助かった場所のすぐ目と鼻の先では、瓦礫にあたったのでしょうか、死んだ人が実際にいたわけ。あすはどうなるかわからない。何が生死をわけるかなんて、わかりませんよ。
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わたしたちは「生かされている」。
今日を生きよう。
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これ、2008年9月11日のNYタイムズの記事。https://t.co/3XnaEnrla4
ヒストリーチャンネルで放映された、911当時の映像を集めたドキュメンタリー番組の紹介記事ですが、NYT記事中に使われていたこの写真は、私の夫が写していた当日の映像から、切り取られたショットです。 pic.twitter.com/ZWrGwer5Cd
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夫が上の映像を撮っていたと同じころ、私はミッドタウンの自宅アパートの南向きの窓からダウンタウンの方角を眺めてた。デジカメに残ってた記録では2001年9月11日9時9分撮影。
同日のタイムラインでは8時46分にファーストインパクト、9時3分に2機目のインパクトなので、2機目衝突から5分後ぐらい。 pic.twitter.com/DaUkVDJAmV
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9時59分 サウスタワー崩壊。
10時28分 ノースタワー崩壊。同じ位置から10時32分に撮影したこの写真には、もうタワーは写っていない。 pic.twitter.com/6RFa2fQLdt
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昨日書いたことのつづきとして。
911テロ勃発当時の写真を、もうすこしシェアしますね。
20年前、タワーが2棟とも崩壊したあと、当日の午前11時半ごろ、サードアベニューの様子です。地下鉄は止まり、マンハッタンの地上はパニックと混乱で大渋滞が起こっていました。 pic.twitter.com/1lRPItsMum
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テロ勃発同日、夕方5時すぎ。
ビルが2棟とも崩壊した現場からあがる煙に夕陽があたる。終日快晴の悔しいほど美しい日だった。この煙はその後もしばらくこうしてくすぶり続け、風に乗ってダウンタウンからアップタウンに流れてきて、私ら住民は嫌がおうにも「焼け焦げた臭い」をかぎ続けることになる。 pic.twitter.com/ZKPDITECJh
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20年前の今日、9月12日の朝7時前。通常であれば、この時間ならマンハッタンの路上には車や人がせわしなく動いていて絶え間なく騒音が聞こえるものですが、この日の朝は、路上には人の気配は一切なく、町はシーンと静まりかえっていた。長く住んで初めて、ニューヨークシティで「静粛」を体験した日。 pic.twitter.com/j1vAOhwGGD
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この日は誰もが前日のショックから立ち直れずに呆然としていました。知り合いと会うと無事だったことをお互い喜びあい、でも突然、泣き顔になる人も多くて、NYCの摩天楼のシルエットを代表するあのツインタワーが文字通り「消えてしまった」ことを現実として受け止めることができない人ばかりだった。
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テロの現場になったマンハッタン島と周囲を繋ぐすべての橋が前日から通行禁止になり、入ることも出ることもできない状態になりました。救助活動が始まるや否や、大勢の人々がボランティアになって活動し出した。ひとびとはともかく動き出すことで、ショックから立ち直ろうとしてたと思います。
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そして、行方不明の親族を探す「たずねびと」の張り紙が所狭しと貼られるようになった。グランドセントラル駅の構内は大きな壁面にビッシリと、連絡がつかない家族の写真と連絡先を書いた紙が貼られた。どこにいっても、おそらくはもう戻ってこないであろう人達の顔写真でストリートが溢れかえった。
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そしてもうひとつニューヨーク中に溢れかえったものは星条旗。United We Stand(我々は団結する)と書かれたサインや星条旗があらゆる場所に貼られるようになり、アパートの窓や、オフィスビルの窓にまで、星条旗が貼られまくったんです。
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さらに、町にはしばらくFBIなど捜査当局関係者が大勢入り捜査を進めていた。いちどハイラインの近くを散歩中に通りの風景をデジカメで写したら、とつぜん物陰から捜査員が複数人出てきて「いま何を写した」と問い詰められ、その人達の目の前でたった今写した写真を消すよう指示されたこともある。
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そしてこれは定番、バカ野郎とヘイト野郎の出現。テロ直後に「これから〇〇を爆破する」と予告が入ったりして、すぐにそれが愉快犯の仕業とわかって逮捕されて、みんな怒った怒った。死刑にしてもいいと喚いてたひと多数。
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ムスリムに対する嫌がらせやヘイトも、ニューヨークだけじゃなくて各地で始まった。
助け合おうという良い部分だけじゃなくて、人間の、こういうイヤラシイ部分も、やっぱり表面化したよね。当時のブッシュ大統領はムスリムは敵じゃないと演説をして、全米で強まるムスリムへのヘイトを牽制した。
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911テロがアメリカ社会に与えたショックと影響はただならぬ大きさで、そこに至った背景の分析などは簡単に吹き飛ばされて、自分たちが「攻撃された」というただその一点に強い反発が起こり、それが憎しみと復讐心へと変わってゆき、ついにアメリカは報復戦争への道を選んだ流れは語るまでもない。
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そして、つい先日、911の20周年を目前にして、アフガニスタンからの米軍撤退が完了。この20年はいったいなんだったのか・・・という思いが、おおくのひとの心の中に残されている。20年後のいま、その、ぽっかりあいた穴を埋める作業にとりかからなければならない。
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ところで、昨日うちの夫が撮ったビデオに写ってたファーストレスポンダーたちがあの大混乱の中で、「働いていた」という話を書きましたけど、その写真を数枚お見せしますね。(夫が写したビデオからカットされたスチール写真ですが、夫の許可を得ています。コピーや無断使用はご遠慮くださいね。)
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1棟目が崩壊し、夫が撃ち抜かれた穴を通りワールドフィナンシャルセンター(WFC)のロビーを抜けてサバイブしたと書きましたが、この写真は倒壊直後のWFCの裏側の様子。あたりはオフィスビルから吹き飛ばされた粉塵と紙の山が散乱、粉塵で視界は最悪、激しく咳込む医療隊員(パラメディック)たち。 pic.twitter.com/sQW44o1pdv
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咳込みながらも、倒れて動けなくなっているひとたち(この倒れているひとは消防隊員でしょうか)を救急車に載せるために、彼らは救援活動を続けていた。 pic.twitter.com/afHdrbfumd
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NYで最も背の高かったオフィスビル110階分に相当する瓦礫とペーパーと粉塵が、雪崩のように降ってきたわけですよ。ビデオでみると、このときおそらく米軍の戦闘機がこの付近を飛んでいます。視界がないので見えませんが、低空を飛ぶ飛行機の音がビデオには入っていて、隊員たちは怖がって身を屈めた。 pic.twitter.com/T4ihicnjdW
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この場から離れ、夫はカメラを回し続けながらハドソンリバー沿いのウェストサイドを北上し始めます。サウスタワー崩壊直後、一本だけになったノースタワーが煙を吐いて粉塵と逆光に浮かぶ異様な光景。ビデオには「It's gone…the tower is gone…」とつぶやく夫の声が入っていました。 pic.twitter.com/WRPBO3Lmp8
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