亡くしたくない大切な人がいる方はぜひ読んでみてください

就活も終わり、大学院を卒業する少し前のことだった。

家族旅行を終え、当時一人暮らしをしていた僕は、家路に着こうとしていた。

その別れ際、母から「じゃあおわかれのハグ!」と言われた。

確かにママっ子だった僕は小さい頃はよく母に抱っこをせがんだ。

でも今や大学院生、しかも外出先ということもあり
「やだよ、そんなの。」と拒んだ。

照れを隠すように急いで車に乗り込んだ。

発進した車のバックミラー越しに見た母は泣いていた。

その1ヶ月後だった。

母から悪性リンパ腫という病に侵されていると聞いた。

母は電話越しでまた泣いていた。

常に強く、いつもハツラツとしていた母が、今はひどく弱々しく感じこちらまで悲しく辛くなった。

あの日ミラー越しに泣いていた母はもう病気の告知を受けていたのだ。

それからあれよあれよと病気が進行し、治療も始まった。

悪性リンパ腫は血液のガンだが、今では良い治療薬があり95%ほどの患者は予後がいいとのこどった。

少し安心した。

だが、残念ながら母はレアケースに選ばれたらしい。

治療開始からしばらくして、思ったよりも結果がよくない。

小さくなっていないと聞いた。

残りの5%は薬が効きにくく、予後が大変悪いとのこと。

余命は数年かもしれない、次再発しても同じ薬は効かないだろう、と。

1クール、2クール、3クールと回を重ねても結果はあまり変わらず、激しい吐き気や頭痛、手足のシビレなどの重い副作用だけがのしかかっていた。

それはそれは、目も当てられないような状況だった。

約束の最終クールが予定の倍以上の期間をかけて終わり、一応影は消えた。

やせ細り弱々しく感じた母は、本当に弱りきっていた。

体力や記憶力、精神力そのすべてが。

ただその時は、影が消え去り危難が去ったことに胸をなでおろし、あとは回復するだけ、そう思っていた。

その期間に僕は大学院を卒業したのだが、一人っ子ということもあり母を看るために、東京で決まっていた就職を辞退し、地元で自営することにした。

コロナでその自営が今は大打撃を受けており、あの時東京に就職していれば。

なんてことをたまに思い浮かべる。

それでも、母のそばにいれてたことは良かったのかもしれない。

そんな日々のなか、母はリハビリを少しずつだが頑張っていた。

治療からちょうど1年後の定期検診から帰ってきた母はリビングに入るなり
「ごめん。再発してしまいました。」と言った。

あの悲痛な言葉。

ごめん、という言葉。

色々なものがない混ぜになったその言葉がすごくすごく重苦しかった。

あの時の空気感と母の悲しそうな姿は今でも鮮明に覚えている。

たまに夢に見てハッと飛び起きる。

それから試行錯誤し、血液を全て新しいものに入れ替えるという治療を行った。

健康な血液幹細胞から血液を作り直して培養して増やし、現在の病に侵された血液は全てぬいて、入れ替えるというものだった。

それはそれは大変な治療で、何日も無菌室に入り
ひとつのウィルスや菌でさえ命取りだと言われた。

何とか治療が終わり本当に本当に弱りきった母は治ったにも関わらず、再発すれば余命は数ヶ月です。

再発しなくても5年生存率は10%程ですと言われていた。

僕は半ば諦めていた。

きっとこの人はもうすぐ死ぬんだ。

そう何となく感じた。

なので、沢山旅行へ連れていった。

沢山海外にも、国内にも連れていった。

きっとたくさん見たいものがあるだろう。

たくさん食べたいものだろう、そう思ったから。

貯金も全てつかい、給料もほとんどを親にあげていた。

あと何年生きれるかも分からない。

どれだけ楽しいことができるか、どれだけ美味しいものを食べれるかわからない。

それならお金なんていくらでもあげよう。

たかが一年や数ヶ月かもしれないんだから、そう思った。

そして2021/4/7、2回目の再発治療完了からちょうど5年経った。

今日、主治医から「異常なしです。よく頑張りましたね。」と言われた。

なんと驚くことに母は生き抜いたのだ。

本当に驚きだ。

なんせ、いつまで経っても死なないのだから。

いつ死ぬか分からないからと高級料理に連れて行っても、いつ死ぬか分からないからとオーストラリアに行っても、いつ死ぬか分からないからとヨーロッパ豪華客船の旅に予約しても、母は死ななかったのだ。

おかげで僕はすっからかん。

5年間とにかくお金が消えていった。

確かに親孝行したい時に親はなし。

というが、その気持ちで親孝行しすぎて破産寸前なのもどうかと思う。

とは言え母が生き抜いたことは本当に嬉しいし、つらいつらい治療や副作用を耐え抜いた母は、自慢の母親だ。

それに、親孝行のチャンスが巡ってきたのはある意味ラッキーなのかもしれない。

皆さんもそんなチャンスがいつ急に無くなるかわからない。

ぜひ善は急げで、破産しない程度に親孝行してほしい。

今日お祝いの食事をしているとき母から
「もうたくさん親孝行してもらったから、いつ死んでも悔いないわ!」と言われた。

うん、良しとしよう。