娘がいつも病院に持って行っていたカバンを片付けていたら、ドラマみたいな事が起きた

『娘の容態』

余命宣告から5週間と3日ほど経ちました。
あの日の娘と今目の前にいる娘を比べるとかなりしんどい状況です。

あれから1ヶ月が経ち、荒波を描くような娘の体調の変化にこのまま細く長く続いて行くんじゃないかと思う事もあったのですが、振り返ってみたら1週間ごとに悪くなっていったように感じます。

大好きだった歌を歌えなくなった
大好きだった音楽を聞かなくなった
大好きだった動画を見なくなった
大好きだったお菓子を食べなくなった
大好きだったご飯を食べなくなった

自分がしたいこともできる事もどんどん減っていって、しんどい部分はモルヒネで誤魔化して、ただ眠るだけになった。

ずっと眠っているようでちゃんと聞こえていて、たまに目を開けて様子を伺ってみたり、首を動かし相槌を打ってくれたり、少し声を出してお話してくれたり。

日々一緒に過ごす事でこんな風にどんどん弱っていくものなんだと、もうすぐ限界なのかとやっと家族も少しだけ実感していく。

してやれることは一緒に居てあげる事。
賑やかにしてその輪の中に椿を入れて、楽しむ事。
ささやかな1日を過ごす事。

ここ2日で特に容態が急激に悪くなった娘。
今朝、訪問看護師、訪問診療の先生から「早くて今週末、保って来週中」だと告知を受けました。
「病院に行くのも体力的にしんどいから行くならまだ体力のある今!今日しかないと思う。とりあえず病院でしてもらえる処置を受けて家に帰ってきましょう!」と言われ、朝から来てくれていた訪看さんが救急車を呼んでくれて、救急隊員の対応をしてくれて、送り出してくれました。

わたしたちだけでは娘の弱り具合とか先の命の長さとかわからないし、病院に行くべきかどうか判断できないところを訪問看護師さんが朝から見に来てくれて、訪問診療の先生と病院の先生と連携を取ってテキパキと判断して、わたしたちに後悔が少しでも少なくなるように考えて道を作って、準備してくれて本当に助かりました。
お陰でパニックにならず、落ち着いて準備出来たし、冷静に付き添えた。

娘と救急車に乗るのはこれで4回目。
これが最期になるかもしれないけど、たくさんお世話になったね。
うとうとしながらたまに目を開けて状況を確認したり、わたしが居るのを確認する娘に「大丈夫!お母さんいるからね!」と声を掛けてくれた救急隊の方にコクンと頷きまた目を閉じる。
娘の容態などを救急隊の方に聞かれて伝えていると『もうすぐお別れなのかな…』て少し実感してしまって、涙が溢れてきて。
今は病院に送ってもらっているだけなのだとわかっているのに、今すぐ命がなくなるわけじゃないとわかっているのに、色んなこと感じて辛くて、何度も涙が込み上げてきて。何度も何度も深呼吸してやりすごそうと頑張った。だってまだ命はある。大丈夫。少し楽にしてもらったらまた一緒にお家に帰るんだ。

無事に病院に送ってくれ親切にしてくださった救急隊の方、救急車のいく先を邪魔しないように道を開けてくださった方々に感謝します。
本当にありがとうございました。

病院に着き、いつもの先生、いつもの病棟、いつもの看護師さんに迎えられわたしも娘もひと安心。
先週よりも弱ってしまった娘に優しく声を掛けてくれて、それに少しずつ反応する娘。娘にとってこの病院は第2のお家。人生の半分はここで過ごしてきました。
たくさん頑張ってきた場所。何度も命を救ってもらい、寄り添ってもらい、たくさん愛してもらった場所。
そんな温かい場所だから娘にとっては辛い場所ではなく安心する場所です。いつも暖かく迎えてくれてありがとうございます。

だからかな、不思議なパワーが漲ったのかもしれない…
昨日は全く何も食べなくて、もうこのまま食べないのだと思っていたら突然16時頃ボソッと「お腹すいた…明太子食べたい」と言ってくれたんです。
でもその時、訪問診療の先生が倉中に来てくれていて、今後の話をしていたのですぐ対応出来ずにいると「まだ?」と娘から催促されました。まだ?ってさっき言われたばっかりだし!て部屋にいたみんなが以心伝心してわっと笑い「すごいね!椿ちゃんの食に対する熱量!健在!安心した!」と先生たち。

娘を先生達にお任せして、すぐに近くのセブンへ辛子明太子を買いに行き、院内の売店で娘の好きな白ごはんの入ったお弁当を買って戻りました。

明太子ご飯を4口、玉子焼きを一口、かぼちゃのスープをふた啜りして満足してまた眠りにつきました。

すごい事だと思います。
「もっと生きたい」って叫んでいると感じられて嬉しい限りです。

今は炎症の数値が高いようで明日お家に帰れるかわかりません。
最期の時はお家で過ごしたいと希望しています。
どうなるかは明日の容態次第です。

2月10日に弟、楓くんのお誕生日。
2月12日にわたしのお誕生日。

今の容態の椿に求めるのは酷なのかもしれないけれど、せめて2月10日の楓くんのお誕生日を椿も一緒にお祝いしてほしい。
楓くんの記憶に残るお誕生日が素敵なものであるように、楓くんの7歳のお誕生日をみんなで笑顔で迎えることが、今の願いです。

泣き崩れるわたしの隣で旦那さんが手帳の表からページを開いたらこちらにもメッセージがありました。

「中2
これはふと書こうと思ったから書いてます。
ママがこれを見たって事は椿はきっとあの世に行ってさみしくなったんだね。
ごめんね。でもこれを読んでもドラえもんみたいなことはないんだ。

ママは事故を数回起こしましたね。こんなこというのはあれだけどママだけでも無事でよかった。

よく病気のことでけんか?みたいになりました。
ごめんね。椿もママが好きだった。さみしかった。いくら死にたいと願った。けれどそんな勇気はなかった。
いま思うと死ななくてよかったなって思ってる。

ママはたくさん椿にお金、物、思い出、愛情くれましたね。
命もくれました。マロンくん、ハムスター何匹も、カメ2匹などなど
ありがとう。本当に楽しかったし、死にたくなかった。

ママはもしも『人を生き返らせるカード』だけど、自分が死ぬというものがあったら使いますか?
そんな魔法やカードがあっても私を生き返らせないでください。そんな事してもうれしくないから。
けれどやっぱりごめんね椿は使わずにはいられないと思う。

いまの椿がいたからいまのママがいる。
いまのママがいたからいまの椿がいる。
そう思ってる。

さあさあ

椿の好きな食べものトップ10
10.ステーキ
9.フォアグラ
8.おすし
7.たたき
6.にんにく
5.うめぼし
4.男梅
3.明太子
2.ママのリゾット
1.ごはん

椿の好きな動物トップ10
10.トカゲ
9.イモリ
8.カエル
7.イルカ→ねこ?
6.しか
5.うさぎ
4.とり
3.バッタ
2.白くま
1.ハムスター」

ここで終わりです。最後は椿らしく茶目っけたっぷりに終わってくれました。

いつ、この手帳にこのメッセージを書いてくれたのか。
どんな思いで綴ったのかな。

「ママは事故を…」のところ、わたしはせっかちなところがあって、過去に娘の幼稚園の迎えに遅れそうで急いでいた時と、娘の入院中に娘の病院へ向かう途中に事故を起こした事があります。そして先日も。
娘の余命宣告を受ける前日、娘の入院が1日延びたと連絡を受け、息子と病院へ娘の要る物を届けに向かっている途中に最近の娘のことを色々と考え、このまま帰れなくなるのかと考えを巡らせていて、完全に前方不注意で追突事故を起こしてしまい、娘の病院へ行く時間がすごく遅くなってしまったことがありました。
看護師さんが不安がる娘のそばに付いて励ましてくれていたそうですが、すごく不安な思いをしたのだと思います。病院に着いたら抱きついて泣いてくれました。「ママが無事で良かった」と。

もしかしたら、待っている不安で押し潰されそうな最中に、「ママが死ぬくらいならわたしが身代わりになる!」とそう願ったのかもしれません。そんな内容に思えてしまいます。

娘の覚悟はすごいものだと思います。
自分の死を目前に感じ、それを受け入れて日々を過ごして…
まだ14歳なのに。

強く優しい心を持った娘の計り知れないわたしへの愛情を、改めて感じさせられました。
わたしを想うことで、あなたは強くいられたのだとしたら、あなたを想う事で強くいられたわたしと同じ量の愛だったのだと痛感しました。

もっと甘えてくれれば良かったのに
もっとハグしてあげたかった、ごめんね
椿、会いたい