「私は赤ちゃん」、本当に1960年の本か???

「サラリーマンであるパパ族が、あまりクタクタになって帰ってくることは、私たち赤ん坊族にとってははなはだ好ましくない。

ママに100%のサービスを要求するから、私たち赤ん坊族には恐るべき競争者があらわれたことになる。

パパがちっと元気一ぱいで帰ってきて、私を抱いて散歩にでかけて、くれたり、お湯に入れてあそんでくれたりするといい。

ママの手だすけになるというような消極的な意味から、それがいいというのではない。

私はママだけの子ではない。

パパの子でもあるのだ。

だから私はパパにも、だっこしてちらったりあそんだりしてほしいのだ。

赤ん坊が大きくなるまで「育児」をママにまかせておいて、都合の-いい時をみて教育者として登場しようなどというのは虫のいいはなしだ。

100%たよりになる人物だという信頼感がなかったら、家庭教育などというのがうまくいくはずはない。

青年期になって子供が父親からはなれてしまうことがしばしばあるのは、「不信用」の積立が満期になってかえってきたためにすぎない。