大学生の時に歴史を勉強しようと思い立ち、本を色々読んだものの全然覚えられず悩んでいたら、父から「覚えなくていい。学ぶことの目的は覚えることじゃない。"学んだ時に何を考えたか" が大切だ」と言われた。当時は全くピンと来ず、知識として定着しないと意味ないじゃないかと反発心もあった。
— 外科医けいゆう『高齢者とその家族が病院に行く前に知っておくこと』10月28日発売 (@keiyou30) November 16, 2020
大人になってアウトプットの機会が増えると、やっとその意味が分かり始めた。誰かに何かのメリットをプレゼンするとか、我が子に何かを教えるといった場面での頭の動きの滑らかさ、使う言葉の豊かさ、思考の奥行きのようなものに「これまでどれだけ色々なことを考えてきたか」は現れる。
— 外科医けいゆう『高齢者とその家族が病院に行く前に知っておくこと』10月28日発売 (@keiyou30) November 16, 2020
学校での学びは「試験で高得点を目指して知識を暗記する」という行為に矮小化されがちであるが(むろんその価値も否定はしないが)、本来学びの効果というのは、人生の遥か先の未来で、目に見えにくい形でもたらされるものなのだろうと朧げながら思う。依然「朧げながら」の域を出ないのではあるが。
— 外科医けいゆう『高齢者とその家族が病院に行く前に知っておくこと』10月28日発売 (@keiyou30) November 16, 2020
学校やセミナーで、板書やパワポを書き写したり、先生の発言をノートするより、その時に感じたこと、考えたことをメモする方が、役に立ちますね。。
— めづさ ?? 酒を愛づるクラゲ (@medusake) November 16, 2020
歴史が得意教科だったんで、前の職場で高校入試を控えた子持ち女性に勉強のコツを聞かれたけど…『受験対策のコツは知らん。歴史はどんな形でも良いから自分から興味持たないと厳しい』としか言えなかったなwww
— ??ともぞー??@いい加減遠征したい?? (@scratch_9142) November 17, 2020
私は今高校生ですが、本当にそうだと思います。
何かを観察して「これ不思議だなあ」って思うことが増えて、どうしてだろうって考え続けてると、いつか自分の答えが見つかって。それをふとした時に知人と話してみると新しい発見があって。そういう時間とか学びこそ意義あるものだと思います。— まむ (@HaHa_MMm_) November 17, 2020
だから学校の勉強はちょっと外れてるなあって思います。知識を与えて、その知識を使って考えることを促す場であるべきだと思います。
正直、テストは成績をつける以外の意味はないと思っています。
だから、人間に優劣をつけるのもおかしい事だなあって思います。— まむ (@HaHa_MMm_) November 17, 2020
大学生の時に史学を専攻しました。卒業した時に思ったのは「専門的な知識はさほど増えていないが、文献からどんな考察が立てられるか、見方を変えるとどうなるか」などの技法を学んだ実感はあったな、ということです。とても共感しました。
— ふりー (@Play_Read_Cook) November 17, 2020
「自分で見つけ出した答えは一生忘れることはない」
あるテレビ番組からの言葉。
答えは自分なりの言葉そのものを考えて獲得していくこととも言えますね。
— REN No17 (@no17_ren) November 17, 2020