仙台空港の近く。地域の人の声。これ刺さるな… pic.twitter.com/E360RxXe2c
— 湘南急行 (@starlightpilot) October 7, 2020
これらの展示は名取市震災復興伝承館で見ることができます。https://t.co/XmBtiCslhP
被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます。— 湘南急行 (@starlightpilot) October 7, 2020
航空大学校の仙台分校に、どの高さに津波が来たか、今も貼ってありますよ…(恐ろしい) pic.twitter.com/YYoYq3qZkd
— こうくうき (@runway17R) October 7, 2020
横浜の住人です。当日は仕事先の渋谷で帰宅難民になった程度でした。3年半経った2014年11月11日に石巻のサン・ファン・バウティスタ号記念館を訪れた際に、館のある丘の上から海面まで降りるエスカレーターの赤い印のところまで津波が押し寄せたのを見て初めて本物の恐怖を覚えました。 pic.twitter.com/DVSB4DVelG
— 檸檬児 (@jo_makoto) October 7, 2020
横から失礼します。
仙台周辺では、あの大きい地震がくる前にも大きい地震が立て続けに起きていたので、正直言うと感覚が麻痺していた部分もあると思うんです。
2日前の2/9にも震度5以上がありましたし。
「慣れ」って恐ろしいです。
空振りでいいんです。防災って本当に大事。— ねこのくびわ コトフク (@gacha51029) October 7, 2020
当時、イオンモール名取で勤務。
震災時は仕事中でした。
「津波来るぞ!」で屋上駐車場のスロープ駆け上がってた時に押し寄せる津波を見ました。
幸い東部道路が堤防になりそこで止まりました。
停電2週間後に実態を知りました。
目の当たりにしないと信じられないのは仕方ないかもです。— 弟子その2 (ベーシック) (@mrodd765) October 7, 2020
沿岸に赴任した弟が津波注意報に驚いて車で高台に行って朝まで部屋に戻れなかったのを地元の人たちは笑ったそうです
被害が出るような津波なんてそう来るものじゃない、とでも災害は起きる…
赴任地でできた友人も犠牲になったらしいですむしろ臆病だと笑われるくらいの方がいいのかもしれません
— ぴよりん (@nobuling_0) October 7, 2020
小2だった僕は半分楽しんでました。地震なんてほとんど体験したことありませんでしたから。でも対岸の石油コンビナートが大爆発したのをみて初めてことの重大さに気がつきました。周りも液状化で1メートル以上段差ができてました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
— 亡国の大和 (@boukoku0609) October 7, 2020
私は沿岸部に住んでおり、その時小学校から家に帰ってしまいました。車で逃げなければ死んでいました。家に帰るとヘドロ、窓ガラスが割れ、後ろの家にはコンテナが刺さって、前には船の甲板が刺さっていました。流れてきた車には赤い?印、人が死んでいました。
こんな体験もうしたくありません。— ??梅酒チャン?? (@_kiwl) October 7, 2020
石巻市立大川小学校 津波前後
校庭にいた児童78名中74名と、教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が死亡した pic.twitter.com/hqN4ZKknnm— にんじん玉ねぎ(える) (@elle_TMKR) October 7, 2020
旧奥州街道は津波が到達しない山側を通っていますがこれは先人たちが平安時代初期の貞観地震の教訓を忘れていなかった証拠です。
貞観地震の大津波は国府“多賀城”のある丘陵の下まで到達したそうですから凄まじい大津波ですね。— 復活の愛國変態 (@RIDE53320435) October 7, 2020