産後ずっと在宅ワークをしていたから、保育園の順位は低かった。子どもが幼稚園に入るまでの、ふたりきりの時代は長かった。特に2歳から3歳半にかけては終始育児の泥沼に半身浸かっているようで、わたしは幼稚園の始まる日をまさに切望し、「今日も心中しないで済んだ」と夜な夜な体を震わせていた
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
2歳児の脳はまだ未成熟だし、意思疎通もできているようでできていないから、わたしは子どもの狂人がごとき一挙手一投足に対する苛立ちを日増しに募らせ、ある日、床を殴りつけてしまった。レゴブロックをわたしの顔めがけて投げつけていた幼子は、本人からしたら脈絡のない大きな音に驚いて泣き出した
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
これは危険だ、とわたしはハッとした。叩いたこともなければ怒鳴ったことももちろんない。わたしはわたしが親にされて怖かったことを覚えているから、それだけはしないようにという信念に基づき育児していた。この瞬間まではそうだった。わたしはわたしが限界に近づいているのを自覚した
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
悔しさより危機感が勝った。こんなに寝不足で休息もなく、24時間365日を4年間、片時も離れずいっしょに過ごしていたらいつか虐待してしまうかもしれないという漠然とした恐れは、この時初めてはっきりとした輪郭を持ち、混乱するわたしの目前に立ちはだかった
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
わたしは「そうだ、人と話していないからだ」と思った。スーパーのレジの人と金銭授受で話すほかは、子どもとしか話していなかった。たまに訪ねてくれる友人はいたけれど、子どもの前で育児の愚痴をこぼすわけにはいかないから、わたしはきっと子どもの愚痴が蓄積するあまり心を病んだのだと考えた
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
とにかくすぐにでも回復して、ノンストップの育児マラソンをうまくこなさなくてはならない。あんな、音で威嚇するような嫌な真似、二度とやるわけにはいかない。ネットで精神科の予約を取り、ベビーシッターの検索と依頼と調整をし、3時間の喜ばしい孤独をわたしの日給と同じ6000円で購入した
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
精神科に行きさえすれば助かるような気がしていた。多分わたしは安易だった。診察室では物腰の柔らかい医師が2歳児にまつわるあらゆる愚痴を聞いてくれた。彼はずっと黙って相槌を打ってくれていたが、最後に口を開いた。
「お子さんの脳の検査をしてほしいという理解でよろしいでしょうか」— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
たしかにわたしは述べ立てた。2歳児が謎のスイッチで癇癪を起こすからつらい。頑なに雨の日の水たまりから出ようとしなくて泣きそうになることがある。スーパーでは食べもしないパプリカを全部カゴに入れようとするから、諌めて泣かれて機嫌を取って、必要な買い出しさえままならない
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
毎日がひどく長く感じられるのに、タスクが山積したまま、あっという間に過ぎていって無能感が募る。わたしはこれらの愚痴を言う相手を間違えた。言うべきは精神科医ではなかった。共感して同意してくれる似た境遇の経験者にこそ話すべき内容。先生が苦肉の打開策に「脳の検査?」と思うのも無理はない
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
子どもの脳に異状がないのはすでに発達を診てくれている病院で診断済みです、わたしは自分が2歳児と安全に過ごす自信をなくしているんです、きっと疲れているんです、話してだいぶ荷が軽くなったから、またしばらくがんばれそうです。わたしは診察室を後にした。先生は静かに見送ってくれた
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
帰途、久しぶりに着けた腕時計をバスの中で外しながら、このあとまたあの理不尽な育児戦線に戻るのだと思ったら、涙がとめどなく溢れてきて、わたしはリュックに入れっぱなしだった子どものタオルで顔をおさえた。このとき「児童相談所に繋がろう」と思った。なにか策を提示してもらえることを期待した
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
ベビーシッターから子どもを引き継ぎ、「ママキライ」とケラケラ笑われながら、トミカを並べる遊びに付き合い、唐突に顔をトミカで殴られ、痛くしたらダメだよと優しく注意し、それでも泣かれ、抱きしめ、ぬいぐるみで慰め、食べないのに欲しがるメニューを作って並べ、いつものようにひっくり返され、
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
唯一食べる白飯をひとさじずつ掬って口が開くのを待ち、咀嚼するのを待ち、飲み込むのを待ち、吐き出したら受け止め、それを繰り返し、繰り返し、いったいぜんたいこの子どもはどうしてここにいるのだろうと低い意識レベルで考え、嫌がるのをなだめすかしてお風呂に入れ、顔に水がついて泣くのを慰め、
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
風呂上がりの身支度をさせて寝床で絵本を読む頃には、「またしばらくがんばれそう」の『またしばらく』がもう過ぎてしまったことに気がついた。もう一歩も動けない、と思った。寝室から居間に移動し、涙があふれるのを拭くのも面倒で、児童相談所に電話をかけた。夜間の窓口の人はすぐに出てくれた
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
どうされましたと訊かれたので、床を殴ってしまったことを伝えた。子どもに手を上げてはいないものの、その日が近いようにも思えて怖いと言った。どうにか誰かに助けてほしくて、と訴えを続けようとしたら、その人は遮って「まだ手を上げてはいないんですよね」と言った。「だったら大丈夫です」とも
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
わたしはスマホを持って立ち尽くしていた。電話口の人は、心の具合が悪いなら精神科に行くことを提案してくれた。それが難しいなら周りの人に相談するのもよいでしょう。お母さんとか旦那さんとかご兄弟とか、助けになってくれますよ。わたしが「どれもいません」と言うと、「じゃあ精神科」と言われた
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
精神科には奇しくもさきほど行ったばかりです。なんて言われましたか?子どもの脳の検査をしたいですか、と。そうですか、ではまたなにかありましたらいつでもお電話ください。あ、はいわかりました。
――終話。
わたしは確かにわかってしまった。この状況は変わらない。わたしは育児を続けるほかない— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
あんな失望は、経験したことがない。育児は現代日本では自己完結すべき長期イベントなのだ。結局わたしはそのまま卑屈に忍耐を続け、夜な夜な「今日も死なせずに済んだ」と泣いて安堵し、「幼稚園まであと何日」と震える指でカレンダーをなぞり、ぎりぎりの精神状態で母性神話フルマラソンを駆け抜けた
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
なんであんなにがんばってしまったか、余裕の出てきた今となってはいろいろなことに腹が立つ。児相がダメなら役所に行けばよかった。役所がダメなら小児科で相談すればよかった。どこかしら活路はきっとあった。なのにあの夜、わたしは社会への信頼を勝手に失い、ただ疲れ果て、手をのばすのを諦めた
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
わたしが子どもと死ななかったのは単に偶然の結果に過ぎない。眠る我が子の口を塞ぐ夢を幾度みたことか知れない。その度に罪悪感に苦しみ、同時に楽になりたいとも願った。3歳半を過ぎたあたりで子どもが人間っぽくなり、そこから視界が明るく広くなったものの、それまでは悲しいほどに孤独だった
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
虐待致死の報道に触れるたび、わたしは自分と重ね合わせる。「なぜ児相に行かなかった」「なぜ産んだ」「なぜ親であることを手放さない」との外野の誹りは、いずれもイフのわたしに向けられたもののように思う。もしもわたしが2歳の子どもと死を選んでいたら、同じ誹りを受けるのは免れなかったろう
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
日本のあちこちに、あのときの《わたし》がいる。子どもと全力で向き合っても、連日不可解な理不尽に苦しむ《わたし》。夜も子どもが泣くから、抱っこ紐をつけたまま寝ている《わたし》。健やかに育ってもらいたいだけなのに、なにも食べてくれなくて頭が禿げるまで悩む《わたし》。相談相手などいない
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
児相に電話すれば休めたり助かったりするような、単純なシステムは育児業界に存在しない。《わたし》たちは瞬間瞬間を懸命に生き、子どもを育み、トイレさえひとり油断して行けない暮らしの中で、時々怨嗟の如きSOSを放つのに、それが「明日の託児」にも「制度的救済」にも繋がることは滅多にない
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
虐待は悪です、そんなことは百も承知だ。そこそこ普通を自負する人間でも、虐待しそうになるところまで育児という営みは理性を圧迫することがある。だからこそ負荷分散が必要で、児相に繋がりハイ解決という机上の空論からいい加減議論を進めるべき時期に来ている、ただそれだけのことなのに。なのに。
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
「お母さんだからがんばれる」と誰かが言った。わたしも「お母さんだからがんばれる」と思ってしまった。わたしはお母さんである前に殴られれば痛いし毎夜数時間は眠らなければ死ぬ人間なのに、なぜかそんな当たり前の前提まで、奪われがちな《わたし》たちと、それゆえ人生を喪う子どもたちがいる。
— 雨 滴 堂 (@Utekido) July 10, 2020
短期間子どもを預かるショートステイというシステムと就労を終えて帰宅するまでの夕方から夜にかけて預かるトワイライトステイというシステムもありますよ
— アイランドリトル田楽/菜っ葉 (@natsuki20001001) July 11, 2020
ありがとうございます。
必要とする人が必要な時に、確実にその情報が得られて、活用できることを願って止みません。— 花子 (@hanakokarinko) July 11, 2020
フルタイムで働くのはそれは子供との時間少ないから嫌、けど扶養内パートなんかじゃ絶対に保育園入れない。本当3年間きつかったです??
けど2人目もほしくて子供2人にしましたが、上の子には色々と申し訳ない事沢山してしまった気がします??何度大声出して何度私が泣き叫んだ事か??— るー (@ntk_6666) July 10, 2020
父親はいいよね子供と離れる時間あって、ってずっと思ってました??
満員電車嫌だと夫は言ってたけど、毎日通勤で2時間も1人の時間があるなんて、私からしたら羨ましすぎたけどこれは理解してもらえなかったです??
満員電車が羨ましい?それは働いてないから言えるんだよ、と言われました??— るー (@ntk_6666) July 10, 2020
なので私の苦労も夫には理解出来ないし、夫の苦労も私にはわかりません。
つまり夫婦が苦労をわかり合うのは不可能。なので理解は諦め、せめてお互い思いやりを持って家庭を築いていこうって結果に、離婚の話までなったけど最終的に仲良しに戻れました??
育児の疲れって人殺しますよね??— るー (@ntk_6666) July 10, 2020
というか育児の疲れって実は家族の理解力や対応で変わるんじゃないかとも思います??
育児で疲れてても、夫がサポートしてくれたり理解してくれれば天と地ほどの差ですよね。問題は母親が精神的に1人で育児してる事、が問題な気がします— るー (@ntk_6666) July 10, 2020
外から失礼します。母親だから頑張れるって本当に何を根拠に言ってるのか未だに理解不能ですよね。この言葉が一番何より嫌いです。母親と1個人の人間なんですよね。
文面見てて以前のわたしを思い出しました…
苦しくて泣いちゃいました。私も虐待は
本当に悪いこともわかってましたけど手を出して— コイコイ?????? (@koikoi03360522) July 11, 2020
しまったことが何度となくあって産後のホルモンが本当に安定しなくて婦人科でピルを出して頂いてから情緒不安がなくなってそれから怒りのコントロールをして発達デイに預けてから気持ちがスッと軽くなりました…旦那さんも居てなかったら多分今報道されてるようなことに絶対なってたと思います…
— コイコイ?????? (@koikoi03360522) July 11, 2020
預かって貰えるところがないと
子供一人でも育児は過酷なんですよね…その事実をもっともっともっと
世間は報道すべきだと思います。
虐待した=悪で全て片付けないで
欲しいと説に願います。— コイコイ?????? (@koikoi03360522) July 11, 2020
うちの子は脳腫瘍と水頭症の難病を抱えてるので余計に育児は困難で手術も10回を超えるほど受けたので自分がこの子の母親で良いのかもわからなくなって毎日死ぬことばかり考えてた時期もありました。こんなはずではなかったと毎日毎日思ってました。でも行政に頼り出して本当に救われました。
— コイコイ?????? (@koikoi03360522) July 11, 2020
私のことかと身震いしました。双子の1人がやっと寝静まった時にもぅ1人が泣き出して思わず毛布で顔を覆ってしまったことがあります…巡回してきた保健婦さんに心療内科へ連れて行かれ診察室でも双子はのけ反って大泣き、それを見ていた医師は「これが毎日だったら皆気が狂いますよ」と。何卒ご自愛を
— すぅすぅ?? (@yshnet1231) July 11, 2020
子育てをやめたいとか親をやめたいとかじゃない。ほんの少しの心の余裕を取り戻したいけど、ライフライン切られて孤立して期限の決まってない24時間365日連続耐久レースに参加してるような状態になってるから辛いのよね。しかも、子に手を上げたら没収され保護、そうでなければ辛いまま続行決定とか。
— 赤城花子 (@blaueKatze111) July 11, 2020
私の勤務保育園にもコロナにより育休のお母さんはお家で子供を見られる為、登園を控えてもらうようにお願いしていました。
その際に0歳2歳児のお母さんが「保育園に通わせたい。いつ手をあげてしまうかと怖いんです」と涙を見せていました。このリアルな現状をたくさんの方に知ってもらいたいです— ??????? (@bdq_z) July 11, 2020
過去の自分と重ね合わせ拝読しました。
私も子が1歳のとき、同じく物に当たりその音で子どもが泣きハッとしました。
3歳半で楽になったのも同じです。
「幼い頃は今しかない。短いから大事にしないと」をやり過ぎると、「未来」そのものを失いかねない。
長かった!
人生で一番長く怖い時期でした。— K.T (@takamioffice) July 11, 2020
民間や市の一時預りシステムは私も暫くお世話になりました。頭が爆発しそうな時ちょっと預けては昼寝ばっかりしてました。登録するときすごく時間かかったけど、登録すればもう電話一本であっさり預かってもらえた。やっぱり『やらなければいけない』は心を壊す。『やらなくてもいい』に切替るべき。
— 赤メガネの素 (@Pondeco1212) July 11, 2020
半世紀前に共働きサラリーマン家庭に生まれ、親の産休明けから何年か田舎に預けられていた者です。面会から帰る親を追い泣いた記憶だけあり“なぜ3歳までの一番必要な時期に親と引き離されたのか”聞けないまま現在に至りますが、親もギリギリだったのか…と、スレッドから思い至りました。
— LaLa (@lalalacozy) July 11, 2020
自分のことかと思いました。保育園に入園できても、やり場の無い気持ちに自分の太ももを殴ってアザだらけでした。夫は「仕方ない」と言います。仕方ない?何が?そんな一言で片付けられるレベルはずっと前に越している。限界点を日々更新しているのに「ダメ母」扱い。誰にも認められない苦行。
— クーピーペンソー (@candyryoco) July 10, 2020
じゃあ4月生まれの子供をほぼワンオペで家で面倒見ていた自分って凄かったんですね!と自画自賛してやりたい??周りは母親なんだから当たり前って目でしか見てくれないものねぇ…(>_<)出来て当たり前、普通の事、皆やってる。。子育てに疲れたと少し愚痴をこぼそうものなら即こう言われましたよ。
— ミーコ (@LKIsDQryGIjsnTf) July 11, 2020