いつも「江戸時代の食事がね」みたいなことを授業でしゃべってるんですけど、諸事情で自分でつくる必要がでてきてつくってみたんですよ。玄米2合はやべえっすね。豪華なときは、ちょっと魚がつきます(よけいに悲しみが出ますよね) pic.twitter.com/BiS9stqYdF
— おうこうはん (@SUSHIwanghaofan) July 2, 2020
当然ながら2合の玄米を食べるのはさすがにぼくでもきついので、残ったご飯はおにぎりにして明日の朝ご飯にしたり、冷凍して後日食べます。 pic.twitter.com/EKQGrVgEtb
— おうこうはん (@SUSHIwanghaofan) July 2, 2020
西洋人が飛脚に「肉を食べさせる」という実験をしたら、途端にバテて走れなくなってしまった…なんて話もあるそうですしね。
— 関 蛮奇夫 (@yu07ULEre1ugBBC) July 2, 2020
玄米や麦飯や蕎麦を食べてると脚気に罹り難いことが経験的に一部には知られてゐたやうですけど、脚気豫防のために玄米を食べてゐたのではないと思ひます。
— 米穀大頭領 (@cornpresident) July 2, 2020
精米機なんてない当時、江戸の人々だけが白いお米にありつけたのは、江戸ではいち早く搗米屋(つきごめや)という精米を専門的に行う職業が発達した為。落語「幾代餅」にも登場するこの商売は搗き上がった米の1割程度を報酬として受け取るのが一般的だったそうですが、なかなかの重労働だったようです。
— ヌーン (@nunnunnunnuuuun) July 2, 2020
私は神奈川の貧農の子孫ですが、戦前の主食は雑穀米で白米を食べるのは1日と15日だけだったと叔母に聞いたことがあります。お米はまあ殆ど唯一の収入源ですから自由には食べられない…。
— 本郷 大 (@kajigaya6) July 2, 2020
初めまして
宮沢賢治の一日に玄米四合と味噌と少しの野菜の意味が今やっとわかりました。— 夢であいましょう (@seeyouinthedre2) July 2, 2020
良寛様も一日五合の玄米を食べて質素な生活をしてたので、自分の庵を「五合庵」と名付けたほど。
— パレストリーナ (@teiseikou) July 2, 2020
横から失礼します。
玄米には7%弱のタンパク質が含まれるようです。二合300g中に約20g、当時は一日二食だったそうなので40g。後は豆腐などで補ったりおかわりしたりすれば、なんとか足りるかもです。
また当時は仏教の絡みで肉はほとんど食べられてなかったようです。— 鰯づくし@電子書籍1巻発売中 (@iwashidukushi) July 2, 2020