今日、友人に連れられて釣りに入った川。
明らかに隠し沢だった……。
隠し沢とは、岩手県によくある、飢饉の時の為に食糧庫として隠しておく沢だ。
もう明らかに明らかな感じで隠し沢だった。物凄く面白い体験だったから、貴重な民俗学の記録としてちょっとずつ様子を書いていきたい。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢の様子①】
まず、この沢が「隠し沢」であろうと確信するに至った点がふたつある。
1.地図に沢の名前が乗ってない
2.水源の森が「○○共有山」みたいな名前の山この事を説明してる、地域おこしのためと思われる看板が沢の入口にあったのだが、沢の名前が書いてないのには驚いた。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢②】
その沢はひと跨ぎほどの沢に合流する、切ないほどに小さな沢だった。洗面器程度の水溜まりが連続するだけの、要するにちょっと凄い湧き水だった。
友人が「ここが例の岩魚天国やで」と言った時は、「ここ行くんか?」と思った程、なんというか、入る価値もないように見える沢だった。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢③】
そんで友人と沢に入ったのだが、早速奇妙なことがあった。
沢と並行して、ずーっと踏み分け道があるのだ。
それは所謂林道というような生易しいものではなく、人ひとりが歩けるだけの道だった。
だが、何故かその道は度切れることなく続き、しかも自然石の石垣で補強されていた。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢④】
さらに、その踏み分け道の両脇には、サワグルミの木が並木道のようにずーっとずーっと山奥まで植えられていた。
そこだけ、潅木も、雑木もない。明らかに人為的に植えられたと思われるクルミの古木の並木だった。
ちょっとしたクルミ畑だった。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢⑤】
一方の沢はと言うと、
一旦沢に入って最初の岩を越えた途端、急に森が広くなり、奇妙に整備されたような溪相になった。
普通、あんな谷なら灌木や笹なんかが生い茂ってるもんだけど、川辺は明らかに管理されていた。
そして、入口付近がちょっとカムフラージュされていたと思われる。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢⑥】
そして肝心の魚はというと。
いるわいるわ。
こんな水溜まりにどうしてこんな数の岩魚が、と言いたくなるほどに岩魚がひしめき合っていた。
水溜まりにルアーを落とせば、2?3匹の岩魚が殺到する。
ちょっと歩けば岩魚が行き場を失って川岸に踊り上がる。
そんな感じだった。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢⑦】
あんまりに岩魚がいるので「もうめんどくせぇ、素手でも取れるんじゃない?」と竿を放り出して岩陰に手を突っ込むと、僅かな隙間に二?三匹のイワナが寿司詰め。
私はここの沢で、素手で岩魚を3匹捕まえた。
正直めちゃくちゃ楽しかった。おしっこ漏らした。
勿論全リリース。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢⑧】
ここで決定的な事件が起こる。
つり上がってゆくと、ものすごーく細長くて頼りない滝が現れた。
その滝は、10メートル以上の落差のある岩肌を、消火栓のホース程度の水がチョロチョロ落ちてゆく感じだった。
「これが魚止めだなぁ」と思っていると友人が、
「いや上にもいるよ」と。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢⑨】
結論から言うと、魚止めの滝の上にも全く同じ密度で岩魚がごちゃごちゃいた。
私は「あ、これは誰かが岩魚を放流したんや」と察した。
昔の山仕事していた人たちは、暇な時に岩魚を釣っては魚止めの上に放流し、いざという時には捕まえて食べたという。
隠し沢確定だと思った。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢⑩】
結局、沢の傍の踏み分け道は、その沢の源流の水溜まりまで続いていた。最後まで完璧に整備されていた。
正直、水が涸れていたので、釣り上げた数自体は少なかったが、あそこにミミズでも持ち込めば、それこそ「根流しすっぺ」レベルで岩魚を一網打尽にできたに違いない。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢⑪】
そんなこんなで日も暮れかけ、友人と私は帰ることにしたのだが、生えてる草はオオバギボウシとミヤマイラクサばかりだった。いずれも食べられる美味しい山菜だ。
あと、偶然だけど天然キクラゲも生えてた。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢⑫】
それと、栗の花の開花時期だったため、隠し沢周辺は物凄く加爾基、精液、栗の花の匂いがした。
余りに臭いのでよく見てみたら、その隠し沢の周囲の林は、栗の木の周辺だけ明らかに拓けていた。
要するに、山に自然に生えてきた栗の木だけを残し、整備していたと思われる。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢(終)】
こうして我々は約2時間の釣行を終え、大満足で帰途に着いた。
こうして僕の初めての隠し沢探検はくそみそな結果に終わったのでした……(終)
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
まとめるとして、
岩手県は山背という冷涼な風の吹き付ける山地であり、暴政が続いた江戸時代には大量の餓死者を出した。
特に被害が酷かった天明の大飢饉では、実に藩人口の1/4が死に絶えたと言われる。→
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
そんな中、飢饉の影響を受けやすかった岩手の山峡の人々は、生き残る道を山に求めた。
そんな集落の共通財産が「隠し沢」という食料庫であり、その存在は平時は隠され、人の立ち入りも村の掟で制限されていた。
それが部外者であってもだ。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
つまり私は「村の人間でもないのに勝手にやってきて、村の共有財産である隠し沢を荒らした厄介な余所者」である。
皆さん、釣りする時は、あまりにやりすぎると帰りに車のタイヤをパンクさせられますよ。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
凄く余計な事かもしれませんが、江戸の頃の飢饉について、もう少し北の青森の太平洋側の子供達は小学校の頃に地元の歴史で食人食供養塔についても学びます。今もその供養塔は存在していますが、負の歴史を嫌っていつの頃からか食人についての部分が削り取られてるとかいないとか…
— ????????? (@Charusan2525) June 28, 2020
FF外から失礼します。岩手県南出身の者ですが隠し沢の話は初めて聞きました…飢饉の時は阿鼻叫喚の地獄絵図で食べるものが無く死んだ親の肉をその子供が食べていたという話は小学生の頃に地域の歴史を研究する授業で習いました…
— 阿闍羅 (@rei_NavySEALs) June 28, 2020
隠し沢という言葉自体初めて知りましたのでとても面白かったです。昔、父とカブト虫がやたら取れる場所を見つけて取ってたら帰宅時に「おめぇら何してる」って鎌持ったおっちゃん4人に囲まれた経験があります。山は色々あるのですね。
— なずな (@a_song_forXxxX) June 28, 2020
父「すみません、虫を取ってました…」おっちゃん「ならいいんだよ!」で終わりました。Tシャツの下から隠しきれない刺青が七分まで伸びてる方達でした。それ以来ビビりあがったのか父は大人しくホームセンターで虫を買ってきてましたね??山の掟は知っときたいものです。
— なずな (@a_song_forXxxX) June 28, 2020
地元の漁業組合がしっかりと見張っているので、一見さんはご注意。
その点、北海道はまさに自由の新天地ですが、もれなく熊がついてきます。— 星川 真夜(しんや) (@asitafukukazen1) June 28, 2020
※釣りキチ三平のあるエピソード中でマタギが冬の狩猟中に泊まる小屋を熊に荒らされ食うものがなくほとほと困り果てて一計を案じ、暇な時に下流で釣ったイワナを上流に放流して非常時の食料としたという話が紹介された事がある
— 筋トレイプ!トレーニーと化した畜生 (@vodkalover18) June 28, 2020