今日は東日本大震災から9年ですね。
地震発生の翌12日朝11時、当時の大阪市バスが救援物資を詰め込み、宮城消防学校へと出発。下道で16時間後に現地へ到着しました
出発日は土曜日で省庁が休みだったので「帰ってきたら一緒に怒られましょか」と許可を取らず、支援のために見切り発車したのでした pic.twitter.com/QH8fS6wx1e— Osaka-Subway.com/鉄道プレス (@OsakaSubwaycom) 2020年3月10日
ちなみに、路線バスは運転席にしかシートベルトがなかったり、ギア比が低速向けになってる関係で高速に乗れないんだとか。
850kmを下道で走り、支援に駆けつけた運転士さんには頭が下がります— Osaka-Subway.com/鉄道プレス (@OsakaSubwaycom) 2020年3月11日
当日の支援内容
市バス車両2台に支援物資(毛布1,800枚、乾パン1万食)を積載。
先遣隊として土木職員を含む管理職2名、及びバス運転手6名が同乗。この後
3/15、3/23(釜石)、3/24(盛岡)にも同様の支援— Osaka-Subway.com/鉄道プレス (@OsakaSubwaycom) 2020年3月11日
すごい一枚。
こういう無茶、あるいは失敗を嗤わず、
前向きにつながれる日本をもう一度取り戻したい。— 紙と網 (@kamitoami) 2020年3月11日
ちゃんと自分たちが「怒られる」ことをしていると認識した上でやっていることが凄いと思いますよ。
元公務員の立場から見たら、命令のない中この行動は悪なんです。
その時の法律上は。
ですが、法律は変わるし、命令は常に遅れてくるんですよね— 猫大好きんぐ (@ougonnkishigaro) 2020年3月11日
その後バスは現地で人員輸送に活躍し、そのまま寄付されました。
ですので問題はなかったかと。https://t.co/4Scaj1b4cp— ぴーす (@kaori_wanwan) 2020年3月11日
大阪市消防局も消防車を
そのまま現地に10数台おいてきてた。(ちょうど4月が車両更新だった)— アフロ阿弥陀 (@saigoku331300) 2020年3月11日
その時大阪が作ってた「ほんまや」ってペットボトルの水も運んでて、東北の人に意味伝わるんかなあとか話してました??もう9年。まだ9年…。25年経っても阪神淡路大震災の記憶は癒えることはないし…関西だからこその東北への想いはありますね。
— 椿屋 (@ITsubakiya) 2020年3月11日
すごいなぁこれ。
東京から茨城行くのに利根川渡れないだけで相当苦労したのに大阪から宮城だものな。
国道6号は例の事故で通れなかったから何度も山越えする4号系のルートだろうし。
給油すらままならないしで。— せっかち王子 (@irachine) 2020年3月11日
コロナの感染者狩りみたいな報道はもうやめて(お店が潰れたり会社が潰れてしまうよ)、こういう心温まるニュースやってほしい。
9年前の色々な支援ありがとうございました。
by 宮城県名取市在住の者より— M♪Hママ (@mh_mama445) 2020年3月11日
当時、宮城に住んでた者です。
あの時は本当にありがとうございました。
皆様のご支援に感謝しかありません。
今は大阪在住!市営バスも地下鉄も使わせてもらってますよ???— みーたごん (@miitagon) 2020年3月11日