デマと分かりつつ、他の人に買い占められると困るから買う

野心旺盛な科学者フェスティンガーは、またとないチャンスが訪れたと考えた。

このカルト集団に信者の振りをして潜入すれば、世界の終末が訪れるまで彼らの行動を観察できる。

特に興味があったのは、予言が外れたあと信者がどんな行動をとるかだ。

そんなことは考えるまでもない、と思うのが普通だろう。

信者たちは「キーチは詐欺師だった。

神のような存在とコンタクトなどとれていなかったのだ」と認め、元の生活に戻るしかない。

それ以外の結論などあり得ない。

予言が見事に外れるという、これ以上ないほど明白な失敗を目にするのだから。

しかしフェスティンガーの予想は違った。

信者たちはキーチを否定するどころか、以前にも増して信奉するようになると考えたのだ。

信者たちは、最初のうちはときどき庭を見て宇宙船が降りてこないか確認していたが、真夜中をすっかり過ぎると、一様にどんよりとした顔つきになった。

しかしやがて、何事もなかったかのようにそれまで通りの行動を始めた。

つまり、フェスティンガーが予想した通り、大事な予言を外した教祖に幻滅することはなかったのである。

そればかりか、以前より熱心な信者になる者も出た。

どうしてこんなことが起こったのだろう?世界が洪水で沈み、宇宙船が救いにやって来ると予言したが、何一つ起こらなかった。

しかし信者たちは、自分たちの信念を変えることはせず、事実の「解釈」を変えてしまった。

このエピソードは、カルト集団に限らず、我々が誰でも持っている一面を示唆している。

信者たちの行動はもちろん極端だが、フェスティンガーはそれを分析することで、誰もが陥りがちな心理的メカニズムを明らかにした。

多くの場合、人は自分の信念と相反する事実を突き付けられると、自分の過ちを認めるよりも、事実の解釈を変えてしまう。

次から次へと都合のいい言い訳をして、自分を正当化してしまうのだ。

ときには事実を完全に無視してしまうことすらある。

なぜ、こんなことが起こるのか?・・・カギとなるのは「認知的不協和」だ。

これはフェスティンガーが提唱した概念で、自分の信念と事実とが矛盾している状態、あるいはその矛盾によって生じる不快感やストレス状態を指す。

人はたいてい、自分は頭が良くて筋の通った人間だと思っている。

自分の判断は正しくて、簡単にだまされたりしないと信じている。

だからこそ、その信念に反する事実が出てきたときに、自尊心が脅され、おかしなことになってしまう。

問題が深刻な場合はとくにそうだ。

矛盾が大きすぎて心の中で収拾がつかず、苦痛を感じる。

そんな状態に陥ったときの解決策はふたつだ。

1つ目は、自分の信念が間違っていたと認める方法。

しかしこれが難しい。

理由は簡単、怖いのだ。

自分は思っていたほど有能ではなかったと認めることが。

そこで出てくるのが2つ目の解決策、否定だ。

事実をあるがままに受け入れず、自分に都合のいい解釈を付ける。

あるいは事実を完全に無視したり、忘れたりしてしまう。

そうすれば、信念を貫き通せる。

ほら私は正しかった!

だまされてなんかいない!