トイレットペーパーを買い占めている人のほとんどは「デマと分かりつつ、他の人に買い占められると困るから買う」である気がしていて、こういった「自分だけは違うと自覚しながら、結果的に大勢と同じことをしている」現象を、多元的無知といったりします。
— Yukiya Okuda / ツク郎くん? (@alumican_net) 2020年2月29日
ゲーム理論ではナッシュ均衡という現象で「買い占められる前に買わないと損をする」ってやつなんですけど、個々のプレーヤーレベルでは最適解にたどり着けないので、流通を制御して全員に行き渡らせるか、流通を拡大させて買い占めを無力化するかがありえて、今回は後者で比較的早めに解決しそう。
— Yukiya Okuda / ツク郎くん? (@alumican_net) 2020年2月29日
個人的には、昨日死ぬほど辛いものを食べたせいでトイレットペーパーの消費速度が増大しており、非常に危機感を覚えつつも多元的無知やナッシュ均衡に加担したくないので、本当に困ったなという感想です。
— Yukiya Okuda / ツク郎くん? (@alumican_net) 2020年2月29日
これから起こりうる悪い事態は、流通が回復したときに「マスクやトイレットペーパーや消毒液を本当に必要としている人が、人目を気にしてしまい買いづらくなる」だと思うので、必要な分はもちろん自分も堂々と買うし、他人もそれを買えることを喜べるような心にしておきたいなと思いました(完)
— Yukiya Okuda / ツク郎くん? (@alumican_net) 2020年2月29日
物流の現場も大変です
安い運賃だから、効率良く配送出来る様、配送ルートやトラックのサイズを決めてあるのに、こんなに嵩張るものが大量に全店から発注が来れば、トラックに載り切らなくなります
その分増便したりする為、休日出勤になったり、苦労して積み切ったり
原因がデマなのは心が萎える— へらーり (@herrari0113) 2020年3月1日
個人が判断する妥当な行動の集合が、必ずしも全体の最適化にならないというのが難しいところです。全員が全員のことを常に考えられれば理想ですがそれは人間である以上難しいと思うので、本来は行政にそのようなイレギュラーに対する措置を期待したいんですけどね・・・。
— Yukiya Okuda / ツク郎くん? (@alumican_net) 2020年2月29日
うちの職場に「今使ってるロール終わったらない…」て呟いていた人いるので、どうか買い占め止めて。
— YOSHIE (@yamendokote) 2020年2月29日
必要なものは当然買うとして、そこに本来要らないはずの時間や金額をかけなければならないのはつらいですよね。
— Yukiya Okuda / ツク郎くん? (@alumican_net) 2020年2月29日
僕はトイレットペーパーを買い占める人たちを見て、心理学者レオン・フェスティンガーが目にしたカルト集団の教祖を崇拝してしまう人達と本質的には同じなのかなと思いました。
集団心理でありもしないことをいとも簡単に信じてしまうのだと。
でも、報道後も行っている人達は自覚あるはずですもんね。 pic.twitter.com/BqasF38fXO— ケイ??次世代サラリーマン (@mikaitabi) 2020年2月29日
野心旺盛な科学者フェスティンガーは、またとないチャンスが訪れたと考えた。
このカルト集団に信者の振りをして潜入すれば、世界の終末が訪れるまで彼らの行動を観察できる。
特に興味があったのは、予言が外れたあと信者がどんな行動をとるかだ。
そんなことは考えるまでもない、と思うのが普通だろう。
信者たちは「キーチは詐欺師だった。
神のような存在とコンタクトなどとれていなかったのだ」と認め、元の生活に戻るしかない。
それ以外の結論などあり得ない。
予言が見事に外れるという、これ以上ないほど明白な失敗を目にするのだから。
しかしフェスティンガーの予想は違った。
信者たちはキーチを否定するどころか、以前にも増して信奉するようになると考えたのだ。
信者たちは、最初のうちはときどき庭を見て宇宙船が降りてこないか確認していたが、真夜中をすっかり過ぎると、一様にどんよりとした顔つきになった。
しかしやがて、何事もなかったかのようにそれまで通りの行動を始めた。
つまり、フェスティンガーが予想した通り、大事な予言を外した教祖に幻滅することはなかったのである。
そればかりか、以前より熱心な信者になる者も出た。
どうしてこんなことが起こったのだろう?世界が洪水で沈み、宇宙船が救いにやって来ると予言したが、何一つ起こらなかった。
しかし信者たちは、自分たちの信念を変えることはせず、事実の「解釈」を変えてしまった。
このエピソードは、カルト集団に限らず、我々が誰でも持っている一面を示唆している。
信者たちの行動はもちろん極端だが、フェスティンガーはそれを分析することで、誰もが陥りがちな心理的メカニズムを明らかにした。
多くの場合、人は自分の信念と相反する事実を突き付けられると、自分の過ちを認めるよりも、事実の解釈を変えてしまう。
次から次へと都合のいい言い訳をして、自分を正当化してしまうのだ。
ときには事実を完全に無視してしまうことすらある。
なぜ、こんなことが起こるのか?・・・カギとなるのは「認知的不協和」だ。
これはフェスティンガーが提唱した概念で、自分の信念と事実とが矛盾している状態、あるいはその矛盾によって生じる不快感やストレス状態を指す。
人はたいてい、自分は頭が良くて筋の通った人間だと思っている。
自分の判断は正しくて、簡単にだまされたりしないと信じている。
だからこそ、その信念に反する事実が出てきたときに、自尊心が脅され、おかしなことになってしまう。
問題が深刻な場合はとくにそうだ。
矛盾が大きすぎて心の中で収拾がつかず、苦痛を感じる。
そんな状態に陥ったときの解決策はふたつだ。
1つ目は、自分の信念が間違っていたと認める方法。
しかしこれが難しい。
理由は簡単、怖いのだ。
自分は思っていたほど有能ではなかったと認めることが。
そこで出てくるのが2つ目の解決策、否定だ。
事実をあるがままに受け入れず、自分に都合のいい解釈を付ける。
あるいは事実を完全に無視したり、忘れたりしてしまう。
そうすれば、信念を貫き通せる。
ほら私は正しかった!
だまされてなんかいない!