これが今の日本
という言葉が出てきたら眉に唾をつけたほうがいい
まあ、日本に限ったことではなく「これが〇〇の現実」「〇〇の民度」
とかね
「個人の気の毒な体験から、それをデカイ主語全体の話にすり替えるパターン」に気をつけた方がいい
お札を貼っておく
バズツイの後に見てくれ pic.twitter.com/QHXomdF0X0— 久居O (@origin615) 2019年12月9日
なんつーか
ある人物が、ある集団の中で、気の毒な目にあったとしよう
するとその人物は、あたかも「その集団に属している人は遅かれ早かれ自分と同じ目に合う」という前提で「ナチュラルに主語を広げて過剰な一般化した話」を組み立ててしまうことがある
我々にもある
こりゃいったいなんでだろうな— 久居O (@origin615) 2019年12月9日
こうした場合、往往にして、集団やその人よりも、「その人と集団の関係性の特異さ」が原因であることが多い
つまり「その人にとってはその手の集団に行くといつも同じ目に会うが、他人にとってはそうではない、むしろそうでない可能性の方が多いかもしれん」ということをなかなか考えられん— 久居O (@origin615) 2019年12月9日
人間やっぱり辛い目にあってある種の条件付け(あえて学習とは呼ばない)をされると、その条件付けが「自分だけにしか通じない、ごくマイナーでローカルな苦労」であることを認めたくないのだな
苦労して刷り込まれた条件付けがそんなもんであって欲しくない
だから主語を広げてまうのか…?— 久居O (@origin615) 2019年12月9日
個人体験から言えるのは、せいぜいが「俺にとってこの集団はこれこれこういうものであったし、きっとこれからもそうであろう」どまり
「その集団を含むこれこれこういう大集団では、どんな人も俺と同じ目に合う」的な考えには注意しなくてはならないのだろうな…多分— 久居O (@origin615) 2019年12月9日
そう…それに、よく考えてみれば構わぬじゃないか
自分の人生にしか通じない条件付けであったとしても
他人や世間や国家や地球、宇宙の他の人たちにとっては成立しなくとも、自分にとって成立することが確かめたのであれば…
主語を広げて喧伝する必要などどこにもなく、十分元が取れる— 久居O (@origin615) 2019年12月9日
バイアスかけるための常套句なのである意味わかりやすい自己紹介とも言えます
— ゆうのす(R-18) (@na6ce1720cc) 2019年12月10日
「これが今の日本」
「今」では主語が大きすぎ
「日本」も主語が大きすぎ正しく表現すると
「これが今日のオレ」— 好きなものは好きという山田 (@SukisukiYell) 2019年12月10日
・脳卒中での死者は事故の2倍だが、80%の人は事故死の方が多いと思っている
・病死は事故死の18倍だが、両者は同程度と判断されている
・糖尿病により死亡数は事故死の4倍だが、事故死は糖尿病の300倍と思われている
・雷で死ぬ人は集団中毒の52倍だが、集団中毒で死ぬ人の方が多いと思われている— ケイ@早帰ラー (@mikaitabi) 2019年12月10日
これは、オレゴン研究所のポール・スロビックとサラ・力ッテンシュタイン、バルーク・フィッシュホフによる利用可能性ヒューリスティックの研究。
人は、「取り出しやすい」記憶情報を、優先的に頼って判断してしまう。
つまり記憶に残っているものほど、頻度や確率を高く見積もる。— ケイ@早帰ラー (@mikaitabi) 2019年12月10日