小学一年生の時、同級生の女の子のお母さんが亡くなって、お葬式に同級生と行ったんだよね。行ったらその子の弟がいて。ちょこんと座布団にすわって。彼はまだ何にもわかってないんだろうなと思ったけど、僕だって「親が死ぬ」なんてどういうことか、わかってなかった。彼は5歳で僕は7歳だった。続く
— えりぞ (@erizomu) 2019年12月7日
2年して、その男の子がよくうちの家に来るようになって。僕の弟と同い年で、小学校に入学して同じクラスになり、仲良くなったらしかった。それから結構、夕飯は一緒に食べたり、場合によっては夕方家に帰ってきたら、彼とうちの母だけがご飯を食べてたりしてた。
— えりぞ (@erizomu) 2019年12月7日
弟と彼は同じソフトボールチームに入り、中学でも同じ野球部で、基本的にずっと一緒にいて。高校で初めて進路が分かれた。僕が18歳の夏、ド田舎の母の実家に行ったら、彼が居たんだよね。弟は部活とかで居なくて、弟の友達の、高校1年の彼が一人で母の実家に居たの。
— えりぞ (@erizomu) 2019年12月7日
なんでいるの?って聞いたら「いやなんか高校辞めようかと思って。おばちゃんに相談しに。えりぞくんのこととか、子供がうまく行ってない状況に詳しいと思って」
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そんなこんなで、3週間くらいして、彼は帰って行った。母の友達グループに混ざってカラオケとか行って楽しそうだったね。もちろん僕は行ってない。
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その時彼に聞かれたことがあって。「ハリーポッターの映画、つまらなくないですか?」って。「原作読んだ人向けなんじゃないの?どんな映画が好きなの?」って返したら「映画、全然観たことないんですよ。この間ポッターとマトリックス、えりぞ君のお父さんが持ってたから借りて観ました」
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結局彼は高校を辞めずに卒業して、映画の専門学校に入って、一年持たずに学校を辞めた。そのあとブラブラしたり、よくわからない工場バイトとかしてた。うちの母親は癌になって、「あと数年頑張りましょう」になってた。
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ある日家にマジックの汚い字でタイトルが書いてあるDVD-Rがあって。エロ系なら隠せよ父ちゃんって思って「なにこれ」って聞いたら、映画の専門学校を辞めた彼が置いていったって。「うちの母ちゃんが話したことで思いついたことを映画にしたから、観てほしいんだって」
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「自主製作映画ってやつ?映画の学校辞めたんじゃないの?」「やることないから、当時の同級生と作ったんだって」その映画がどこかの自主製作映画祭の準グランプリになったと後で聞いた。
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「あの子が準グランプリの報告に来たとき『私の言葉と、アンタの映画での言葉、捉え方が違うね』って言ったの。言葉は難しい」母はもう身辺整理を始めていた。
— えりぞ (@erizomu) 2019年12月7日
「映画を撮るのにお金かかるでしょ、バイトしながらで撮れるの?って聞いたら、難しいっていうからさ、30万円渡したんだ。これで好きな映画を撮れって、アンタには絶対才能があるって」その一年後くらいに母親は死んだけど、ホスピスで彼はずっとそばにいてくれた。
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その二年後に映画ができて、日本橋の国立映画アーカイブで試写会があって、観に行った。冒頭、「プロデューサー」として母の名前がクレジットされていた。上映後、監督が出てきて「自分は実の母親が5歳で死んでるんですけど、もう一人母親みたいな人がいて、それがプロデューサーです」って挨拶だった
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「アンタもあの子も、弟とは違ってまともには生きていけない人間なんだから、よく考えたほうが良いよ」という母の言葉を時々思い出す。監督はカナダの映画祭に呼ばれたとかで、よく海外に行っている。
— えりぞ (@erizomu) 2019年12月7日
彼が映画の専門学校に進んだ時、辞めたとき、「ええ?アイツ2年前はほとんど映画みたことないっていってたぜ」と笑ったのを思い出す。戦ってない奴はいつだって戦う奴を笑うんだ。
— えりぞ (@erizomu) 2019年12月7日
かっこいいのは弟の友達で、私は「アイツTSUTAYAのカードも無いのに映画の専門行って途中で辞めた」みたいなこという悪役なんですよね…
— えりぞ (@erizomu) 2019年12月7日