仕事で某地方のお寺に廃仏毀釈時の話を聞いて回ることがあった。あれは村人が暴徒と化して近所の寺を襲いまくったので、村人側からすると気まずいらしく語り継ぎたくない歴史としてあまり記録や記憶に残らないのだけど、何をしたか地域の人は忘れても、何をされたかを寺はめっちゃ覚えてた。
— ジロウ (@jiro6663) 2019年10月23日
え?それ一昨日の話ですか?というくらいのリアリティで「150年前、この寺は村人に何をされたか」を教えてくれた。燃やされた側というのは本当に100年経っても忘れないんだなあと思った。
— ジロウ (@jiro6663) 2019年10月23日
これ、いじめとかにも言えますよね。された方はずーーーーーっと覚えてるよ!
— ゆんぴー@メイクメリー豆絞りのひと (@yunyun97) 2019年10月23日
地元博物館の館長が講演してましたが、廃仏毀釈は民衆主導で行われ、藩は一切、煽動してないそうですね。土佐藩では7割、薩摩藩に至っては10割の寺院が破壊されたようです。ただ浄土真宗は仏教とは見なされず、結構見逃されたみたいです。
— 宮崎文敬 (@batigainahito) 2019年10月23日
なんでもそうなんですが、被害側は覚えていて、加害者側は忘れてしまうんですよね。
— らいすしゃわー☆ (@riceshower03) 2019年10月23日
寺は堂塔建設・修繕費を稼ぐ為に富籤や高利貸が認められ、寺によってはその特権を悪用したので恨みが溜まり、明治新政府がそれら特権を廃止したりしたので怒りが爆発。
主に藩や家康のお墨付き等を背景に権勢を誇った寺がやられた。元々貧乏な寺は、廃絶した寺の仏像等を引き取り保存した。— 兀庵兀庵荘 (@Y8mlKSddl5K8Ho2) 2019年10月24日