10月16日は「マリー・アントワネットの命日」

マリー・アントワネットは、フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と発言したと紹介されることがある(ルイ16世の叔母であるヴィクトワール王女の発言とされることもある)。原文は、仏: “Qu’ils mangent de la brioche”、直訳すると「彼らはブリオッシュを食べるように」となる。ブリオッシュは現代ではパンの一種の扱いであるが、かつては原料は小麦粉・塩・水・イーストだけのパン(フランスパン)でなく、バターと卵を使うことからお菓子の一種の扱いをされていたものである。お菓子ではなくケーキまたはクロワッサンと言ったという変形もある。なおフランスを代表するイメージであるクロワッサンやコーヒーを飲む習慣は、彼女がオーストリアから嫁いだときにフランスに伝えられたと言われている。

しかし、これはマリー・アントワネット自身の言葉ではないことが判明している。ルソーの『告白』の第6巻に、ワインを飲むためにパンを探したが見つけられないルソーが、家臣からの「農民にはパンがありません」との発言に対して「それならブリオッシュを食べればよい」とさる大公夫人が答えたことを思い出したとあり、この記事が有力な原典のひとつであるといわれている。庇護者で愛人でもあったヴァラン夫人とルソーが気まずくなり、マブリ家に家庭教師として出向いていた時代(1740年ごろ)のことという。

アルフォンス・カー(フランス語版)は、1843年に出版した『悪女たち』の中で、執筆の際にはこの発言はすでにマリー・アントワネットのものとして流布していたが、1760年出版のある本に「トスカーナ大公国の公爵夫人」のものとして紹介されている、と書かれている。実際はこれは彼女を妬んだほかの貴族たちの作り話で、彼女自身は飢饉の際に子供の宮廷費を削って寄付したり、ほかの貴族達から寄付金を集めたりするなど、国民を大事に思うとても心優しい人物であったとされる。トスカーナは1760年当時、マリー・アントワネットの父である神聖ローマ皇帝フランツ1世が所有しており、その後もハプスブルク家に受け継がれたことから、こじつけの理由の一端になったともされる。