世界最弱・自己犠牲ヒーロー、アンパンマンは弱くても決して武器を持たない

「アンパンマンは、ばいきんまんをやっつけるだけで、なぜ捕まえないのですか?」という問いに対し、「アンパンマンとばいきんまんは、光と影、陽と陰、あるいはプラスとマイナスのような関係です」とし、また、「アンパンマンは、なぜすぐにばいきんまんをアンパンチでぶっ飛ばさないのですか?」という問いには、「ばいきんまんの悪事をとめるのが目的で、やっつけることが目的ではないからです」と答えている。
 アンパンマンとばいきんまんの闘いは、誰しもが抱く“良い心”と“悪い心”の象徴であり、常に“悪い心”を自身の“アンパンチ”で制御しながらバランスを保っている人間そのものを表しているという。だから、アンパンマンは顔を汚されたりつぶされたりするが、決して死ぬことはないし、ばいきんまんもアンパンチを受けて突き飛ばされても、また翌週には元気に現れる。絶えず良心と悪心が共存する人間のように、どちらか一方が完全に勝利することはなく、この闘いは永遠に続いていく。単に暴力で悪を排除するという話ではないのだ。

 アンパンマンとばいきんまんは、酵母菌がなければできないパンや無菌状態では生きていけない人間同様、闘いながら共生している。しかし、菌が増えすぎてしまっては美味しいパンはできないし、人間も病気にかかってしまう。そういう意味では、“アンパンチ”とは平和なバランスを保つための“調整剤”ともいえるかもしれない。暴力や戦争という直接的な解決手段ではなく、むしろそうした悲劇を生み出さないために、人間が本来持っている“抑制力”や“制御力”を表現したものではないだろうか。
 自己犠牲を払ってでも、弱くても困っている人のために手を差し伸べる。やなせたかしさんは、最期まで自分自身に“アンパンチ”を下しながら、多くの人に愛と勇気を届けていたのかもしれない。