私の祖父はいわゆる英霊だが、遺品として国が送ってきたのは、懐中時計と勲章だけだそうだ。懐中時計は裏蓋を開けると「大久保」と書かれている。もちろん祖父の苗字は井上だ。英霊と持ち上げても、国にとっては個人など区別しなくていい小さな存在に過ぎないと教えてくれる、貴重な遺品である。 pic.twitter.com/U2v5nVVqBk
— 井上 雅人 (@INOUE_MASAHITO) 2019年8月16日
「英霊」は遺族を黙らせるためにある言葉だ。国家が英霊扱いするのだから文句は言うな、と言うわけだ。英霊への感謝を訴求する政治家は、国民が英霊に感謝しないと遺族が騒ぎ出して誰も国のために死ななくなるだろう、と言っているのだ。気安く英霊と言う言葉を口にする政治家だけは信用すべきでない。
— 井上 雅人 (@INOUE_MASAHITO) 2019年8月16日
戦没者に対しては、感謝するのではなく悔しみ悲しむべきなのだ。不幸な巡り合わせや、愚かな指導者たちによって命を無駄にされ、それまで努力してきたこと、抱いてきた夢、送れたかもしれない幸せな人生を奪われたのだ。当人たちの悔しさやるせなさに向けて、ありがとうとなどと言えるものではない。
— 井上 雅人 (@INOUE_MASAHITO) 2019年8月16日
ちなみに私の祖父は艦長で、沈んだ船は回収されておらず遺品はない。そのことは当時から分かりきっていたことなので、手違いで他の人の遺品が送られてくることなどはない。遺品を選ぶ担当者も、何を艦長の遺品とするのが相応か考えただろう。担当者が仕事に忠実になればなるほど、個人は消滅するのだ。
— 井上 雅人 (@INOUE_MASAHITO) 2019年8月16日
母の遺品を片付けていた時、戦没したお兄さんに贈られた金杯が出てきました。それはそれは安っぽい物でした。(もちろんメッキ物です)母は生前、命がこんな物にしかならなかった、と言っていたそうです。
— 三日月夜 (@mikazukiyo3753) 2019年8月16日