カリスマカンタローの「母の戒め」

人をリスペクトするということを、僕は母から強烈に教わったことがあります。
それも子どものときの話ではありません。
大人になってから、30代も後半にさしかかるころのことでした。こんな話です。
弟と母の2人を、東京での僕のイベントに招待したことがあります。
そして、イベント終了後に、久々に3人でご飯を食べることになりました。
たまたま、「カリスマカンタロー」という、僕のネーミングについての話になったのです。
冒頭で述べたように、内実は開き直って宣言してしまったような名前が、僕の「カリスマカンタロー」でした。
ある日、友達同士で、生年月日から割り出す「運命数」を調べて遊んでいる中で、僕の運命数を調べてみようとなったところ、僕の数字が「33」というゾロ目になり、その数字が表す意味は「カリスマ」だったようなのです。
みんな鳥肌が立って「アイツ、マジでカリスマだよ!」なんて、仲間うちで大ウケになったそうです。
ちょうど母と久々に食事をしたとき、その話をしたのです。
「オレ、本当に、カリスマなのかもしれないよ」
「へ~おもしろいね!」
その場は盛り上がり、母とのご飯は終わり、楽しんで解散しました。
ところがそのあと、母は長崎から手紙をくれたのです。
内容を見て唖然としました。そこには、「あのとき、なんで『お母さんの運命数は?』みたいなことを聞かなかったの?」と、謎かける言葉がつづられていました。

「あのとき寿司屋でカンタローは、運命数の話をしてくれたじゃん。おもしろかったね」
「そのあと、私の運命数を聞いてみようとは思わなかった?」
「じつは私も運命数は33なのよ。きっと私も聞かれるからおもしろくなるなぁ、と期待していたけど、自分以外の人のことには興味が湧かないのかな?」
「あなたはいつも、自分のことしか話さないんだけど、もしお母さんが有名な人だったり、すごい社長さんだったら、カンタローは話を聞いてくれるのかな?」
「自分が上だから、あなたは話を聞かないの?まわりの人でも、自分より下と思ったらあなたは話を聞かないのかな?」

……厳しいですよね。僕は、めちゃくちゃショックでした。
考えてみたら「カリスマだ」と名乗り、「ダンスイベントで日本一だ」「世界を獲るぞ」なんて大きいことを言っているうちに、いつのまにか偉そうなヤツになってしまっていたんだな……と落ち込みました。
いまのままを続けたら、ビッグマウスはいいけれど、いずれ皆から見放されてしまうかもしれない。
それは僕自身がよく知っているはずなんです。カリスマだろうが世界一だろうが、「誰も他人のことなんて気にしていない」のですから。
人は相手が偉いから、その人を好きになるのではない。その人が自分を明るくしてくれたり、楽しくしてくれたり、ワクワクを感じさせてくれるから付き合うのです。
不快な思いしか与えてくれない人だったら、いくら世界ナンバーワンだってお断り。僕だってそうするでしょう。
そのときから僕は、いままで以上に、見かけだとか地位だとか年齢だとかに関係なく、みんなをリスペクトしようと思いました(油断するといつもの自分になるので、母からの手紙は定期的に読むようにしています)。
僕がカリスマなら、みんなもカリスマ。みんなをワクワクさせてこそのビッグマウスであるべきなんです。そういう人なら、いくら「大ボラ吹き」だって愛されますよね。