「蛇が食事をしなくなった衝撃の理由」
大蛇と仲よく暮らしてる写真や映像を見る度に、この話を思い出して笑えなくなってしまう
もちろん同時に
「ライオンが話したとしても、我々はライオンを理解できないであろう」探究 Ⅱ xi
というヴィトゲンシュタインの言葉も思い出してニヤついてしまうのだが pic.twitter.com/AiiDkXszYk— 諸隈元シュタイン (@moroQma) 2019年5月18日
この寓話から「人間の尺度を動物に宛がうのは危険」という教訓を引き出すのは容易
でもヴィトゲンシュタイン哲学に希望を見出したい自分としては、人と動物は根本的に理解し合えない筈なのに、現実には多くが良好な関係を築き、共生できてる日常に目を向けたいと思っていますhttps://t.co/eimJb4385z— 諸隈元シュタイン (@moroQma) 2019年5月18日
「人は蛇を恐れるが、恐いのは蛇自体ではなく、蛇による不幸」
でも本能を超克し、蛇を飼う事で幸福になる人もいる訳で、もちろん結果的に死んでしまえば不幸だが、人同士の関係だって将来どうなるかは分からない
いま幸福な人が幸福だ、とヴィトゲンシュタインも言ってますhttps://t.co/5xBiUsc5zr— 諸隈元シュタイン (@moroQma) 2019年5月18日
ヴィトゲンシュタインの「永遠」は過去も未来もない「無時間」だが、ニーチェの「永遠」は時間が繰り返し回帰する
でも「いま幸福な人が幸福」という幸福論は共通
苦難も受容しつつ尚も幸福に生きよ、というヴィトの「意志」はニーチェの「超人」に通ずる(力への意志とは別)https://t.co/o8YrTbuBoX— 諸隈元シュタイン (@moroQma) 2019年5月18日
動物園でも時々飼育員が亡くなられていますから節度は必要です
でも人間の尺度で動物を想いやるのが悪い事とは思いません
所謂「動物のように」扱われるより、人間のように接してもらった方が(これまた人間の尺度ではありますが)幸せなのは、人も動物も同じだと僕は信じますhttps://t.co/5vxf68X5BJ— 諸隈元シュタイン (@moroQma) 2019年5月19日
ともすれば、アイボやルンバにさえ心があるように感じてしまう我々が、動物相手にそう思わないのは難しい
そこが人間の限界であり、浅はかだけど、素敵なところ
寒さに身を寄せ合い、互いの針を避けながら、程よい距離を見出すヤマアラシの寓話のように、節度を保てば良いのだhttps://t.co/ZLkC9s1xPU— 諸隈元シュタイン (@moroQma) 2019年5月19日
なお、対人関係に悩むヴィトゲンシュタインも好んだ「ヤマアラシの寓話」だが、ハリネズミではない
元々ショーペンハウアーはヤマアラシと書くも、米大陸のヤマアラシはネズミ科に近く、英訳時に混同
その英訳「hedgehog's dilemma」が独訳より普及した日本でも誤解が生じたhttps://t.co/M980W9oYvB— 諸隈元シュタイン (@moroQma) 2019年5月19日