都会の流行を田舎に運んでくるのはSNSではなく、いつだってテキヤだった。 pic.twitter.com/Er3GMUPbUr
— 浮き輪 (@junsuikaidan) 2019年4月16日
2.ここ何年か地元の花見シーズンの屋台の自由研究をしているのですが、SNSの発達によって情報伝播の速度がゼロに近づいたことによって結果的に毎年のように新しい屋台が出るようになり、売りたいテキヤと都会の流行を知りたい客がwin-win
— 浮き輪 (@junsuikaidan) 2019年4月16日
3.(テキヤがどうのこうのはここではどうでもよくて、)相乗効果が出ているように見えます。一方で昔ながらのお面屋さんやおもちゃ屋さんは地元の春祭りから姿を消しました(写真は10年前)。 pic.twitter.com/VsXY8a8X4Q
— 浮き輪 (@junsuikaidan) 2019年4月16日
これは地元の鳥取県倉吉市の打吹公園ですが、大正4年の花見シーズンにはすでにいくつかの「掛茶屋」が出店していたようです。昭和に入ると町内の料理店が「出張カフェー」と称して30~40店ほど屋台を出していたそう(昭和3年)(以上、自分調べ)。
— 浮き輪 (@junsuikaidan) 2019年4月16日
他にも見世物、サーカス、戦後なら傷痍軍人(またはニセ傷痍軍人)と時代によっていろんな祭りの光景が見えてくるので調べたり聞き取りしたりすると面白いです。お早めに。
— 浮き輪 (@junsuikaidan) 2019年4月16日