私が「倒れた」経験について

 私は疲れや体調不良が顔に出ません。出ないから心配されることもありません。ということは、自分で気が付いて自分で申告するしかありません。
 私が「倒れた」のは雪の降る2月の夜でした。定時を過ぎても働きづめなのはいつもの事ですが、その日は体が震えて、仕事にひどい拒否反応がありました。どうしても嘔吐しそうでしたので、一度病院へ行き、また職場に戻って仕事をしようと思いました。上司に報告し、できるだけ近くの病院へ行って早く帰ってくるよう言われました。
 雪の降る外へ、コートとカバンを掴んで出ました。そこにはいつも通り人がたくさん歩いていて、仕事帰りの人が飲みに行こうと騒いだり、デートする力ップルがいたり、本当にいつもと変わらない風景でしたが、なんだか「死にたいな」と思ったのです。これまでの生活は7時に起きて、8時に出勤、事務仕事と開店準備を済ませ、10時前に上司が来て、10時に開店、休憩をとる暇もなく働いたら知らないうちに閉店時間の18時。当然のように残業をして(その間に仕事の早い人たちは帰っている)終電で帰宅。また7時に起きる…というサイクルです。遊ぶ時間も、飲みに行く時間も、ご飯を食ペる時間もなく、帰ったら眠るだけでした。しかし、病気の伴侶が居たし、お給料も良かったのです。だから、もうひと踏ん張り、いつか余裕が出る、今は仕事ができないからだと、毎日きしむ身体をむりやり動かしていました。
 職場環境は今思えぱ最悪です。挨拶もしない上司、汚い言葉を浴ぴせてくる上司、一度も褒められない仕事、遅いという理由で増えていく案件、減った人員の分も、上司が終わらせなかった仕事も、新人が忘れた仕事も、全部やっていました。そんな状況で漠然と死にたくなった私ですが、伴侶を置いて死ぬわけにも行かず、安定剤でももらいに精神科へ行こうと探しましたが、何故かその時地図が読めませんでした。不動産業で、地図は人よりわかっているはず、まして歩きなれた職場の周辺だというのに。どうしても地図が、文字が、うまく読めなくなっていました。雪の中を、歩いても歩いても、たった徒歩3分の病院にたどり着けない。仕事ができない上に病院ひとつにも行けなくなってしまったと、そのときはひどく焦り、悲しくなり、
次第に涙が出て、泣きながら歩きました。そのうち見つけた処方箋の薬局に立ち寄り、近くの精神科はないかと尋ねましたが、尋ねながら涙が止まらず、うまく喋ることもできませんでした。
薬剤師さんは優しく対応してくれて、場所も教えてくれましたが、教えてくれた病院は、徒歩3分を一時間かけた私のせいで閉まっていました。階段を登って病院についたものの、閉まっている事がわかり、また辛くなり、今度は階段が下りられなくなりました。そこで、「私いまかなりおかしいな」と気がついたのです。結局手すりを伝い、ずり落ちながら階段を下り、職場に家に帰るとだけ伝え、家で眠りに付きました。
 そこから一ケ月、喋ることも食べることも困難になり、仕事はもちろん辞めてしまったし、寝るのも辛く、何をするにも不自由でした。

 これが私の「倒れた」経験です。

 いわゆる、「倒れる」というのはこう、貧血みたいにバン!と倒れて意識を失うようなイメージもありますが、こういう場合もあるというのを知ってもらったらいいなと思います。結局精神科に3ヶ月通い、一時的な適応障害と診断され投薬で健常にはなりましたが、元の体力や知力は戻りません。無理をすると、勝手に「倒れる」というシステムに体がなってしまったという具合です。
 できると思っても、できないという辛さは常に一生続くのです。私の反省点は「辛いという気持ちを殺したこと」だと思っています。自分の落ち度で自分を追い詰めているから、努力すれぱ平気だ、と言い聞かせていました。実際は無茶な事をさせられていたと思います。客観的に見て、長い目で見て、辞めるか休むか、決めるべきだったのです。優しい友達が沢山心配してくれました。私はそれを、ありがとうとだけ言って無視して無理をしました。
 結局は、自分で決めることなのです。自分で判断することです。
 今、すべてをかなぐり捨ててしているその仕事が、将来につながるのか?つながるにせよ、つながる前に折れてしまったら二度ともとに戻りません。
折れるような仕事が役に立つのなら、一生折れるような仕事をさせられ続ける可能性もあります。今は平気、もう少しなら平気、と言い聞かせてる時
点で、もう平気では無いのです。
 みなさん、無理しないでね。