ちょっと重たい話だがいいだろうか?
ちょっと長くなるかもしれん。私は、自分のクラスの子を児相に通告した経験がある。
その子の親は躁鬱を繰り返し、鬱だとネグレクト、躁だと面倒見のいい親を繰り返していた。
学校としてもとてもいい時もあるので判断が難しかった。
— 大導寺 匠@Web職員室 (@takumi_daidoji) 2019年2月11日
だがある時、恐れていたうつ状態になってしまった。
途端に洗濯、食事、学校の準備が滞った。
でもまだこの位なら学校でカバーしようと周りの先生の協力を得ながらやっていた。だがある日、子供がフラフラしながら登校し、教室で寝始めた。
明らかに異常だった。午前中は保健室で休ませた。
— 大導寺 匠@Web職員室 (@takumi_daidoji) 2019年2月11日
午後になってやっと目が覚めたので話を聞いた。
それは驚愕の事実だった。兄弟は朝にお腹が空いたと親に訴えた。
すると、お腹が空かなくなる薬だと行って錠剤を飲まされた。眠剤だった。
もはや猶予は無くなった。
その日のうちに通告、保護となり、母親は警察に連行された。— 大導寺 匠@Web職員室 (@takumi_daidoji) 2019年2月11日
だが、精神衰弱の行為として釈放、病院治療となった母親は、残念ながら自死を選んでしまった。
葬式の日、子供たちは泣いていた。「お母さん、帰ってきて。もっと遊びたいよ。」
母親の親族からは「お前のせいで死んだ。どうしてくれる。」となじられた。私は自分のしたことに迷いはなかった。
— 大導寺 匠@Web職員室 (@takumi_daidoji) 2019年2月11日
だが辛かったな。
子供たちはどんなにネグレクトを受けても、いい状態の時の母親を知っていたからな。
だからその望みに賭けていた。
いつかまた一緒に暮らせる。が、潰えてしまった。
私は、車で数時間離れた保護施設に、毎年誕生日プレゼントを渡しに行った。
できもしない慰めの為に。
— 大導寺 匠@Web職員室 (@takumi_daidoji) 2019年2月11日
毎年年賀状のやり取りもしていた。
が、ふと、「私が関わり続けることは、あの子らを辛い思い出に引き止めることになるのでは?」
と思った。それから連絡を取るのをやめて数年経った。
その子から、昨年、突然手紙が届いた。
— 大導寺 匠@Web職員室 (@takumi_daidoji) 2019年2月11日
「先生、お久しぶりです。あの時は大変お世話になりました。
実は、私は今年大学に合格しました!先生と同じ教育学部です。
私は今までの人生で沢山の先生方にお世話になりました。
なので・・・。」最後まで読むことができなかった。なんの感情かわからない涙が止まらなかったんだ。
— 大導寺 匠@Web職員室 (@takumi_daidoji) 2019年2月11日
教員という仕事の素晴らしさ、責任の重さ、選択の重要性、子供を思いやる気持ち、保護者との繋がり。
その全てが、息もできないほどの勢いで押し寄せてきた。
本当に自分がそれをできるのか?
だが、彼女が教員の道を選んだことは、誠に自分勝手だが私を許してくれたような気がしたんだ。
— 大導寺 匠@Web職員室 (@takumi_daidoji) 2019年2月11日
長くなったな。
教員の端くれだった頃の旧い話だ。
だが、紛れもなく私の人生の大事な一部だ。人との関わりなくして人生はない。
だから私はこれからも人との関わりを大事にしていく。
最後までありがとうな??
— 大導寺 匠@Web職員室 (@takumi_daidoji) 2019年2月11日
stbc7329、リプありがとう。
似たような経験はどの教員も大なり小なりあると思う。
最近児相が話題になるが、どんな親でもその子にとっては親、代わりにはなれん。
決断というのはとても重い行為だな。— 大導寺 匠@Web職員室 (@takumi_daidoji) 2019年2月11日
理科教育を語りたい、リプ感謝する。
私の当時の信念の一つは
「目の前にいる子供を最大限守る」
これに尽きていた。
だから今でも判断は間違っていなかったと思っている。だが同時にそれは、様々な覚悟を私に教えてくれたな。
人の人生に関わることは覚悟が必要だ。— 大導寺 匠@Web職員室 (@takumi_daidoji) 2019年2月12日